遅ればせながら、いわき・シャンティハウス・トリオライブ報告、そして石巻・澄さんとのツアー報告

<2011年12月8日> 安ヵ川大樹(b)、橋本学(ds)
2年ぶりのシャンティハウス。

避難地域ではないが、空間放射線量が、今はだいぶ下がってそれでも横浜の10倍くらいという環境で、ジャズのライブを続けてくださっているシャンティハウスの山田さん。
こんな時だから音楽が必要だという信念を持っていらっしゃる。
演奏させてもらうミュージシャンとしては本当にありがたい。

いわきに入ると、道が渋滞している。ホテルも満室。街が込み合っている。
ホテルは労働の充実感で溢れ、生き生きしている。いわきから福島原発に通うのだそうだ。頼もしくありがたい。
地方都市・いわきの実直な感じが、労働者のごつごつしたイメージに変わっている。
人はたくさん居るけれど、生活感はあまりない。

小さい子どもは見かけなかった。成長期の子どもをもつ家庭では、家族が分かれて、或いは住み慣れたいわきを離れて、他の土地で暮らしている方が多いと聞く。
制服を着た高校生を時々見かけたが、ふっと目につく。生活観の薄れた雰囲気にすこし違和感があるからだろう。

海端は津波があり、なくなった方もたくさんいらっしゃる。しかし駅周辺は地震の影響はさほど見られない。2年前は駅の改修中だったため、今のほうがなんだか立派だ。

なんということだ。
もし、原発がなければ!

山田さんは変わらず、にこやかに迎えてくださった。懐かしい優しい顔。

3月の地震以来、私は未だに、気持ちのどこかの蓋が外れるとただただ涙が溢れてくる。

地震と津波で命を奪われた人、ふるさとを奪われた人たち・・
そこに土地があるのに、放射能汚染で大事な生業を諦めざるを得なかった人たち、避難せざるをえない子供達・・
同情や慰めなどは遥かに及ばない。
原子力に無知であった事、簡単に騙されてしまっていた事がとても悔しい。
その都会の住人の愚かさの代償を、福島やその周りの人たちに受けさせてしまっている。
未来のある世界中の子ども達の健康も害しつつある。
苦痛を訴える事もできない木々や動物、鳥たち、昆虫、魚の生態系を有無を言わさず変えてしまっている。

ライブで「For a New Day」を作った時の気持ちを説明した時、そんなことに思いが広がり蓋が外れて、演奏中も涙が止まらなくなってしまった。

「For a New Day」につけた歌詞は
  空を見ると、空は確かにそこに在る
  決して誰一人として その空を独裁者にもぎ取られるような事があってはならない

  空を広く見回すと、冷たく燃えているのが見える 
  決して誰も、この私たちの空をめちゃめちゃにするどんな理論も必要としてなんかいない。

音楽に何が出来るか・・・

人の心を真っすぐにし、正しいもの・美しいものを見分ける力となる音楽。
本当に音楽が必要なのは、被害を受け傷ついている東北の方々より、原子力ムラの人でなし・国民の事を顧みず自らの利益を追う恥知らずの官僚や議員達なのかも。
議事堂や霞ヶ関で、官僚・議員に強制的に聴かせる音楽会、できないだろうか。


*****

<2012年2月3日>澄淳子(vo)、熊谷宏(g)
車窓から見る東北の風景は本当に美しい。男体山・那須岳・磐梯山・蔵王と勇壮で美しい山々、広がる田園。
初めて訪れた石巻。仙台駅から車で向かう。
テレビでは波に飲まれる仙台空港や石巻の町は何度も見た。

石巻出身の辺見庸さんは、テレビは何も映していない、という。
 『瓦礫の中から言葉を』から/震災当初はカメラを向けたら嫌でも屍体を撮ってしまうほどといわれた現場なのに、テレビや新聞は丹念に死と屍体のリアリティを消しました。なぜそうする必要があるのかわたしにはわかりません。あのような報道ならば鴨長明の『方丈記』のほうが災厄というもののすさまじい実相をリアルに伝えていると言えるでしょう。 
 いずれにせよ、マスコミによる死の無化と数値化、屍体の隠蔽、死の意味の希釈が、事態の解釈をかえって難しくしました。死を考える手がかりがないものだから、おびただしい死者が数値では存在するはずなのに、、その感覚、肉感とそこからわいてくる生きた言葉がないために、悲しみと悼みが宙吊りになってしまったのです。

実際に、そこに住み、無事だった方々の話を聞くと、瓦礫に混じってたくさんの遺体が流れてきたそうだ。
辺見さんは人間が「部位」となっていたという表現をする。

また、略奪はそこここで行われていたという。
それらの本当の姿は、日本のテレビでは映像はもとより、言葉でさえも流されなかった。

確かに街が波に飲み込まれるのを見るだけで、今までに感じたことのない、恐怖を感じた。茫然自失となった。
しかし、現実はそんなものではなかったのだ。
きれいなところだけを、離れたところから見ていただけだ。

被害に遭った集落の集会場に向かう道から、たくさんの子どもたちと先生が亡くなった大川小が見えた。
その、美しい山と穏やかに流れる北上川に囲まれた、ひだまりのような暖かそうな場所に、体温を失った廃墟。静寂。脳裏に焼きついた。言葉はない。

ギターの熊谷さんは澄さんの学友。町田の住人だが、震災後石巻に滞在し、被災した人たちが入る事のできる"千人風呂”というお風呂をボラティア数人で運営している。本当に、素晴らしい。出来ることをやっている。頭が下がる。

その周りは、水で押しつぶされたシャッター、壁には背丈より高いところにある水のあと、泥まみれでぐしゃぐしゃになったままの中華料理店、傾いた大きな石碑、片付けられ更地となった場所が無表情にあちこちにある。その横には再開したお店。
その絶望と希望がない交ぜになっている町は、泣くのをこらえている。

チャップリンの作曲した「Smile」という曲の歌詞を思い出す。
心が傷ついて壊れそうでも、涙がこぼれそうになっても、悲しみの陰など微笑みで隠してしまえ、明日になったら、雲は去る、今こそ微笑む努力をするべき時だ、泣く事なんかない、微笑んでいればきっと、人生はまだ捨てたものじゃないと思う時がくるだろう・・・

音楽に何が出来るか・・・また、この考えが重くのしかかる。
人を微笑ませる事か・・・
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小出さんのおっしゃる、
『ひとりひとりが自分のできることをすればいい。』
それを拠り所に。
CDやLive、Lessonのお問合せは、taka(アットマーク)tbi.t-com.ne.jpまで。

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