語録 心に響く言葉を書き留めておきたい
ここには、なるべくたくさんの人の心に響く、響いてほしいと思った言葉を書く。
世の中には、いい事を言う人はたくさんいるのだけど、そういう意見が大多数にならないなんて、変。
池田晶子さんは言う。
・・・『理想を失うことなく持ち続けているというそのことだけで、それは十分に現実的な力として、この世界の根底で確実に働き続けているんだ』
加筆したり或いは時間の流れで変化し意味を失ったものは取り除く。
最上段に新しく加えたものを置くことにする。
******
*武満徹さん 秋山邦晴『現代音楽をどう聴くか』から・・・・ 2020年7月追記、(本の整理をしていて、見つけた言葉。だからまた捨てられなくなってしまう)
映画音楽についてのなかで
「私は、ひとつの嘘を真実たらしめるための役割を、音楽によって担いたいと思っています。台詞はあくまでも観念であって、音楽は、それを官能的な次元に置き換えて、直に働きかけねばなりません。音によって、言葉の観念は肉化されるのです」
*ヤニス・クセナキス 秋山邦晴『現代音楽をどう聴くか』から
「音楽は数学を支配しなければならない。そうでなければ音楽は数学になってしまう。それはまことにくだらないものだ。」
秋山/ かれにとっては、数学やテクノロジーが絶対なのではなく、逆にそれを生み出した人間の論理的な思考が重要なのである。
*浜 矩子(はまのりこ)さん/経済学者 『ビッグイシューNn318.創刊14周年記念インタビュー』 結びの言葉 ・・2017年9月追記
「経済とは何か」との質問に浜さんが、「愛です」ときっぱり答えていたのを聞いて以来、気になる人だ。
ビッグイシューにはコラムを連載していて、毎号楽しみにしている。
318号ではスペシャルインタヴュー。
その結びの言葉にめちゃ、納得。
・・・浜 『国家という装置の最終的役割は弱者救済です。弱者救済のための公助ですね。
自助できない人たちの生きる権利、人の生存権を保証すること。
国家という機関は、それができてこそ存在することが許される。そういうことだと思います。
国家のために市民が生きているのではないことは、確かだ。。
*絵本・アニメ 『戦争の作り方』 /りぼん・ぷろじぇくと 2016年11月23日追記
2004年にマガジンハウスから出版されたこの絵本。
現在、このストーリーの危惧する通りに、現実に戦争をする国になりつつある。
しかし、いま日本を動かしている政治家を選んでしまったのも国民。
政治に興味なくてあるいは、自分一人が投票しても大差ないと選挙に行っていない人、テレビが良いと言うからと選ぶ人、などが近くに居たら、是非、このアニメーション、見てもらってください。
ひとりひとりが考えるしかないのだ。
世武裕子(Sebu Hiroko)さんの音楽もとてもいい。
http://noddin.jp/war/
*キース・ジャレット 武満徹との対談から/1984年 2016年9月22日追記
・・・(キース)『わたしは自分で即興をするときに、自分ではリスニングと呼んでいます。
最初の音を聴けば、次の音がわかる。
でも最初の音を聴かないと、次の音は創作しなくてはならないんです』
・・・(武満)『僕も、作曲するのではなく、リスニング=聴くということだと思います。
作曲家は最初の聴衆です』
*パウロ・コエーリヨ 『星の巡礼』より 2016年8月8日追記
・・・か弱き生き物である人間は、常に自分たちが確実に死ぬということを自分に隠そうとしている。
人生で最も素晴らしいことをしようと彼らに思わせるものは、死そのものであることを、人は誰も見ようとしない。
彼らは暗闇に足を踏み入れるのを恐れ、未知を恐れている。
そしてその恐怖を克服する唯一の方法は、自分の人生が限られているという事実を無視することなのだ。
死を意識してこそ、もっと勇気を持つことができ、日々、さらに多くのものを得ることができるということを、彼らは分かっていないのだ。
なぜなら、死を意識した時、何も失うものはなくなるからだ。死は避けられないのだから。
*パウロ・コエーリヨ 『星の巡礼』より 2016年7月29日追記
・・・人生は素晴らしくて豊かなものだと教えようとすると、呪いに取りつかれそれに慣れきってしまってごくわずかで 満足することを学んできた人たちは、その考えを拒否する。
そんな考え方は悪魔のものだと思っているのだ。
打ち負かされるのが怖くて、人々は人生に多くを望みたくないのだ。
しかし、もし良き戦いを戦いたいと思ったら、世界を、見つけ出され勝ち取られるのを待っている素晴らしい宝のよ うなものだと、考えることが必要なのだ。
*中村 哲さん(アフガニスタンで働く医師) 著書『医者、用水路を拓く』 前書きより
このコラムのはじまりの、書き留めておきたい言葉、第一弾。
集団的自衛権を大多数の国民の意思に背きごり押ししてしまった政権、実際にフランスなどで起こる報復テロ、その報復にまた簡単に空爆をするフランスなどの国
平和憲法を持ちながら、日本も全く他人ごとではなくなってしまったこの時代に、もう一度一番上に持ってきます。
・・・飢餓と洪水を前に医療人はあまりに無力で、辛い思いをする。
清潔な飲料水と十分な農業生産があれば、病の多くは防ぎ得るものであった。
私たちは「百の診療所より1本の用水路」を合言葉に体当たりで実事業に邁進してきた。
この用水路建設事業によって、自然と人間、人間と人間の関係について、より深く気づくものがあったと感じている。
平和とは決して人間同士だけの問題でなく、自然との関わり方に深く依拠している事は確かである。
・・・内外がきな臭い風潮となり、人為の驕慢と錯覚に報いるかのごとく天変地異が世界で頻発する。
呑気に「人類の進歩発展」を謳歌する時代は終わった。
アフガニスタンでの体験は、この印象を強烈に裏付ける。
いったい私たちはどこに向かおうとしているのか、どうすればよいのか。誰も確たる答えを主張できないまま、流されていく。
だが他方、時流から距離を置き、より良い世界を真剣に模索する心ある人々も、あらゆる分野にいる。
私たちが持たなくてもよいものは何か、人として最後まで失ってならぬものは何か、
私たちのささやかな実践が、それに思いをいたす機縁となれば、苦労も報われると思っている。
武力とカネが人間を支配する時代にあって、私たちの軌跡そのものが、平和を求める人々に勇気と慰めをあたえられればこれに過ぎる喜びはない。
*池田晶子さん(哲学者) <14歳からの哲学 「戦争」の章より 2003年発行> ・・・2015年11月25日追記
このブログの石田雄さん『戦争に向かった 戦前と似ている』のところでも、引用したが、ここにも、もう一度まとめの部分だけ。
・・・「戦争している国同士は、必ず、自分たちの国が正義で、相手の国が不正なのだと思っている。
しかし、国なんて存在しないもの、頭の中にしかない作り事の、正・不正をどうやって判断する?
人間にできるのは、現実に存在する個人が、その置かれた現実の中で、いかに正しく行為できるか、それだけなんだ
・・・「戦争に反対すると口でいうのは簡単だ。戦争に加担するのも。
難しいのは、そもそも戦争とは何なのか、なぜ戦争するのかということについて考えることだ
*パウロ・コエーリョ <『アルケミスト』より> ・・・・2014・10・7追記
未だ続けている小学校での読み聞かせにも使っているので、再三読み返している。私にとってとても大事な本になった。読み返すたびに、ちょっとした言葉に納得し、付箋が増えていく。
ここでもまた、紹介してみる。
・・・錬金術師になるために旅をしているイギリス人の言葉
「君が何かを全身全霊で欲したとき、君は『大いなる魂』と最も近い場所にいる。
それはいつも前向きな力として働くのだ。
これは人間だけに限られた贈り物ではない。それが鉱物であろうと、植物であろうと、動物であろうと、単なる思いであろうと、地上にあるすべての物は魂を持っている。
地球上にあるすべての物は常に形を変えている。
なぜなら地球は生きているからだ・・・そして地球には魂があるからだ。
私たちはその魂の一部なので、地球の魂が私たちのために働いていることを、ほとんど認識していない。
・・・クリスタル商人の言葉
「お前にとって、クリスタルをみがくことは、否定的な考えから自分を自由にすることなのだよ」
・・・太陽と少年の会話の中で、少年の言葉
「私たちが今の自分より良いものになろうと努力すれば、自分のまわりのすべてのものも良くなるという事を、彼ら(錬金術師)は教えているのです」
* 宮崎駿さん 引退の記者会見から ・・・2013/9/7追記
・・・「『この世は生きるに値するということを、子供たちに伝えたかった」
*パウロ・コエーリョ <『第5の山』より> ・・・2013/8/11追記
・・・アクバルという都市の知事の言葉
「多くの世代にわたって、人間は(政治家は)自分の意思の力によって、押し付けようとした。
彼らは自分の望みを語りはしたが、人々が何を考えているのか、気にも留めなかった。
そしてこうした帝国はすべて、滅亡した。
いかに人の話を聞くかを学んだがゆえに、われわれの民は成長した。
つまり、他の人々がなにを望んでいるかに耳を澄ませて、
彼を満足させるためにできることを、なんでも行うのだ
その結果が、利潤なのだ」
・・・少年エリア「もっともすぐれた戦士は、敵を友人に変える者です」
*パウロ・コエーリョ <『アルケミスト』より> ・・・・2013/8/5 追記
・・・「お前がだれであろうと、何をしていようと、お前が何かを本当にやりたいと思う時は、その望みは宇宙の魂から生まれたからなのだ。それが地球におけるお前の使命なのだよ」
「お前が何かを望む時には、宇宙全体が協力して、それを実現するために助けてくれるのだよ」
*Keith Jarrett <Inner Views Chapter5より>
〈たかだ〉私はいつも耳栓を持ち歩いている。訴えても訴えても、色んなところの雑音は低くならないからだ。
耐えられない。
東北の地震のあと、唯一『静けさ』だけは素晴らしかった。皆が静寂の中で物を考えているのがわかった。
日本人市民の思考の浅さの原因はこれではないかと、常々思ってきた。経済至上主義のアメリカでさえ日本よりは騒がしくないと訪れたひとはいう。
BGMに重ねてスーパーのあちこちにあるラジカセや、繰り返しメッセージを垂れ流す小さい画面からの大音量。それが購買意欲に結びつくという発想が正気の沙汰でない。日本人を壊していくだけだ。
・・・「どこかに買いものに行った時、BGMでひどい音楽が流れていたので、店員に『よく一日中我慢できますね』と聞いた。その店員は『聞いていませんから』
ひとつの感覚を閉ざして、残るほかの感覚を完全に正常な状態に保つなんて事はできない。君が意識的にひとつの感覚を取り除いたら、君が考えている以上にもっと他にも多くのものを失っているはずだ。なぜなら、聴覚は単に聞くことだけじゃなくて、体全体の構造の一部だからだ」
*池田晶子さん(哲学者) <14歳からの哲学 「理想と現実」の章より 2003年発行> ・・・2013年1月8日追加
(たかだ)池田晶子さんの文章にはいつも、『なるべくたくさんの人が幸せに生きて欲しい、そのためにどうしても本当の事を伝えたい』という強い理想を感じ、共感し、感動する。
・・・「見える現実には、戦争や不平等がたくさんある。理想を持つ君は、それを変えたいと思い、理想の社会の実現を目指して、ボランティアをしたり、人々に訴えたりという実際の行動を取るかもしれない。そして、自分の力がとても及ばない事を思い知り、ああやはり現実というのはこういうものなんだと、挫折感を抱くかもしれない。
でも、決してそんなことはないんだ。理想と現実とは別物ではないのだから、(注:「こうしたい」という理想が無ければ人は何一つ行動する事は出来ない」という、それまでの流れから) 君が理想を持っている、それを失うことなく持ち続けているというそのことだけで、それは十分に現実的な力として、この世界の根底で確実に働き続けているんだ。
むろんすぐになんか実現しないさ。だって、世界にはこれだけの人々が居るんだもの。でも、君が理想を失わないのであれば、いつかは必ず実現するんだ。
「いつか」って、いつなのか。そんな事を知る必要はないと。正しい仕方で理想を持っている君なら分かるはずだ。
*Albert Einstain ・・・・2013年1月4日追加
・・・「教師の最大の任務は、想像と知識とへのよろこびを、目覚めさせる事である。」
*ゲーテ <若きウェルテルの悩み第一部より> ・・・2013年1月4日追加
・・・「悪だくみや悪意なんかよりも、誤解や怠惰のほうが、よっぽどいざこざの基になるんだね。少なくとも、前の二つのほうがたしかに珍しいんだ。」
*新井紀子さん(数学者) <12/26毎日新聞幸福論より> ・・・2012年12月27日追加
記者・井田純さんによるインタヴュー
―今年公表された日本数学学界の「大学生数学基本調査」では、<平均>の意味を理解していない学生が多い事などがわかりました。
・・・「平均を求めなさい、と言われれば大半の学生が出来ます。ところが、それによって何が分かるのかを理解していない。或いは、偶数に奇数を足すと奇数になる、という事は分かっていてもそれがなぜかを説明できない。
『わかる』と『できる』との違いは人工頭脳を研究している私にとっての主要テーマです。『わかってはいないけど、とりあえずできる』ような能力は、いずれコンピューターに取って代わられてしまう」
―社会に大きな影響がありそうですね
・・・「ある意味で、民主主義が成り立たなくなるのではという危機感さえあります。民主主義というのは、皆が感情にまかせるのではなく、論理的に考えて議論できるということが前提のシステム。様々な可能性について論理的に考えて、<まし>な選択肢を選び取る能力が失われた時に民主主義が成立するのか、とても心配です。
―民主主義にとっても数学的な思考は重要ですか
・・・「数学は定理自体が役に立つ事より、こうした議論の基盤となる論理のトレーニングを提供できると思うのです。
目的を考えれば、教育は本来、その人が20年30年後にどんな人間になっているかが大事なはずです。だけど、今の教育は、短期的な成果を求めるシステム。テストの点数や大学進学率を上げるためには最適化されている制度だと思います。数学では大量に練習問題を解いて解法を考え、社会や理科では大量に暗記する事が、短い期間の効率を考えると都合がよい。
教育に限らず、<投資>に対する<成果>という経済活動と考えるとらえ方が広まった結果ではないでしょうか。
*山折哲雄ささん(宗教学者) <11/21毎日新聞特集ワイドより> ・・・2012年11月24日追加
・・・高齢者が得てきたものを少しずつ次世代に譲っていく社会というのは品がありますよ。
・・・これからは、米中間における日本などというパワーバランスの発想を乗り越えて、文化の力で諸外国から尊敬される国家経営を目指すべきですね。産業立国から芸術文化創造立国へと国是が変わってほしいと思いますね。それだけの文化、芸術の蓄積がこの国にはある。
・・・あれだけの苛酷な原発事故を起こして、今後持ち続けていくことはありえない。軌道修正が必要。
*金時鐘(キム・シジョン)さん(詩人) 11月9日 毎日新聞特集ワイドより ・・2012年11月16日追加
・・・金さんは、地図にコンパスを下ろし自宅を中心に半径30キロの円を描いてみたという。原発事故の際に避難する「緊急防護措置区域」はこの範囲になる。
・・・「ここに原発があれば、知り合い皆が被害を受けてしまうのだとショックを受けた」
・・・「原発が立地していない地方の人も描いてみたらどうでしょうか」
*園子温さん (映画監督) ・・2012年10月14日追加
<死と涙 数えてみろ 10/12毎日新聞特集ワイドより>
・・・政治家のエネルギー政策論議で 『原発ゼロは非現実的』 『再生可能エネルギー産業が成熟してから』などの意見を耳にするたび、文章が抜けているだろ、本音を最後まで言えよと憤る。
『悲しい思いをする人がいても仕方ない』 『彼らには泣いてもらう。犠牲になってもらう』と。文章を最後まで残酷に言い放つべきではないですか。
*山田孝男さん ・・・・・・2012年10月2日追加
<9/24 毎日新聞「風知草」より>
―異端の経済学者・シューマッハー(1911~77)の予言>
経済膨張主義に対する警告の書・『スモール・イズ・ビューティフル』にこういう行があるそうだ。
<第一章 原子力/救いか呪いか(Salvation or Damnation?)>
・・・原爆より平和利用(原発)が人類に及ぼす危険の方がはるかに大きい
・・・「平和の土台は繁栄である」という現代の主流の考え方、それを万国がやれば地球が壊れていしまう
・・・脱原発は感情論だろうか。幸福は経済の戦略的抑制にある。
最先端を走って傷ついた日本がまず、異端に学び、世界に先駆けて主流のゆがみを正していく。
当然の事であると私は思う。
*2012年9月28日でMBSラジオのたねまきジャーナルが打ち切りになった。
福島原発事故の後、冷却出来なくなっているにもかかわらず、ぼっかーんと爆発しているにもかかわらず、大丈夫大丈夫と言い続けた嘘つきの学者達。
そんな中、この番組の小出裕章さんだけが本当の事を伝えてくれていた。
全国で聞けないので、心ある方がYoutubeにアップしてくださっていた。
すがるように、かじりついて聴いた。
しかし、一体どんな圧力なのだろう。恐ろしい。
最終回で、毎日新聞論説員の重鎮・近藤勝重さんがこう言った。
「世の中がおかしくなると、人が自分の人間らしさに気づいて行くね」
しかし、信じられないのだけれど、自分の人間らしさに気が付かない人もいる。
命より経済が大事だと言い切る人がいる。
自分の人間らしさに気が付かないのだから、人の命のことに思いが及ばないのは当然の事だ。
そういう人が勝手に世の中の片隅に生きているなら構わない。
しかしそういう人間が、いわゆる「偉い人」という位置づけにあり、人に物事を教えたり、人を動かしたり、国を動かしたりする。
皆が皆ではないだろうが、著名であったり、何か「偉い」とされる地位に居る人は、人間らしくない所の競争(例えば受験を勝ち抜くこと。『高い点を取る』ことが良いこと)や駆け引きがうまいひとがとても多いのかもしれない。人を蹴落とす、踏み台にすることを少なからず経験しているうちに、自分の人間らしさに気が付く感性は失われていのではないだろうか。
ソクラテスの言う、頭の良い事だけでなく、プラス! 音楽・文学・スポーツに秀でてバランスのよい人格である事、それが国を治める人の資格である・・・これは真実だと思う。いま政治や社会がそれを示している。
*白石一文さん (作家)
<2012年9月21日 毎日新聞 特集ワイド・原爆の呪縛―この国はどこへ行こうとしているのか>
・・・大事故が起きたとき、例えばたった一人でも生還できない任務を覚悟しなくてはならないような技術は許されない
・・・仕事のため、生活のために被ばくを我慢するしかないーそれが自分や自分の家族だったら―。そうした本来の人間としての想像力がかけているように思える
・・・人命と何かの価値を交換する事は悪だ、という根本的な考えに、原子力と言う技術はそぐわない
・・・電気を取り出す仕組みが原子力しかないのであればある程度やむを得ないという考え方はありえる。しかし他の発電方法があるうえ、少し節電すれば、大飯原発すら動かさなくても猛暑の関西でもなんとかなっていた。それぐらいのことなのに、もし何かあったら特攻隊が要求される。間違っていると思うね。
*池田晶子さん (哲学者) ・・・2012/4/29追加
<著書『メタフィジカル・パンチ』1995年文芸春秋社刊行から>
「学者さん」の章より
・・・学業的業績、いわゆる頭の良し悪しと、人柄の良し悪しとは無関係ではないか、そういう屁理屈を、皆が本気で信じているから、「学者」というあの良くも悪くも差別的呼称となるのだ。
アカデミズムの創始者プラトン、あるいはたぶん、よりソクラテスにおいて、「真実を知ること」と「良い人間である事」とは、同一の事柄を指示していた。近代においてこそ、「真実」とは「自然科学的真実」のみを言うという偏向が急速に生じたけれども、古代、「自然とは何か」「自然において人間が生きるとは何か」を考えるのは、哲学の仕事だった。真実を知ることと、よい人間として生きることを別々に考えられるわけがないのだ。なぜなら、真実とは何かと考えているのは、他でもないその人のはずだからである。真実を知る人が、真実の人でないのは、おかしい。
「知ること」と「生きること」とは別々のことであり、またそういうものだという思い込みは、このように近代以降、学問の専門化が定着してきたことに起因している。「学者」とは、この世の俗事とはなにか別のことをする別の人たちであると。
・・・「学者」とは本来、「詩人」がそうであるような、そのような傾向若しくは体質の人のことを言うはずだ。何の役にも立たないのに詩を書く人がいるように、何の役にも立たないのに、知りたくて学ぶ人がいる。何の役にも立たないのになぜそんなことをするのかというと、言うまでもない、彼らにとってそれが「生きる」ことだからである。知ることが生きる事だからである。真実を知ることが生きる事であるその人は、したがって、必ず真実の人、つまり「よい」人であるはずだ。こういう人のことだけを「学者」、本物の学者と私は呼びたい。少ないでしょうが大事な人たちです。
*辺見 庸さん(作家・ジャーナリスト・詩人)著書『瓦礫の中から言葉を』 から ・・・2012/2/29追加
・・・福島原発から放出された放射性セシウム137は広島に投下された原子爆弾の168個分という記事に、私はまだしつこくこだわったいます。無意識で透明な残忍性をその文面に感じてしまうからです。原子爆弾168個分、一万五千テラベクレル、ヨウ素131は16万テラベクレル。この記事にも顔がありません。数字はべらぼうで、やはりのっぺらぼうなのです。
いかにも具体的、実証的に見える数字を列挙していながら、そのじつ、この記事はあまりにもとりとめがないのです。とりとめがないというのは、大津波で街ごともっていかれた空間のように、空漠として、そこはかとない酷薄さを漂わせています。
数字は膨大です。私の考えでは、膨大さは結局「無」に通じ、太陽が地平線上に出てこない極夜にひとりとりのこされたような恐怖のもととなります。膨大=無=夜 の果てないめぐりは、核時代の無限循環です。そこでは善意も悪意も誠意も無効にされてしまいます。
言い方をかえれば、膨大と無はよく似ていて、いずれも虚無と不安の発生源です。膨大と無の同居 ―それが残忍な現代社会の最大の特徴です。それは3・11の以前からつとにそうだったのです。ですから、こういうべきかもしれません。けっして3・11が残忍だったのではない。現代社会の残忍性が3・11によってついに証明されたのだ、と。
*小出裕章さん<2・22たねまきジャーナルより> ・・・2012/2/24追加
『稼動していなければ安全なのだろうか』というリスナーの質問に対して
・・・原子力発電所が動いていればもちろん危険だが、停止したところで、安全になるわけではない。
原子炉圧力容器は分厚い鋼鉄製の容器で、中性子により劣化をする。
しかし劣化は原子炉が運転中でなければ起きない。停止してしまえば、0ではないけれども基本的にそれ以上劣化する事は考えなくてもいい。しかし、もうすでに、たとえば玄海1号機は、普通の温度状態でガラスになってしまっているがそれ以上にもろくなるということはない。しかし、ガラスのようになってしまったものを、壊れないようにお守りしなければいけない、という仕事は残る。
原子力発電所はせいぜい40年しか動かないけれども、解体をするためにはもっと長い時間がかかる。
原子力発電所を解体したところで、核分裂生成物はその後何百年何千年、消えない。そして使用済み核燃料そのものは100万年、それをどこか安全な所でずーっとお守りをし続けなければいけない。
そういうものです。
*梅原 猛さん(哲学者・京都市立芸術大学学長) ・・・2012/ 2/24追加
<富士山が世界遺産に登録される見通しが強まってきた中、富士山の魅力を語る座談会で。毎日新聞2/23>
・・・西洋文明というのは、ギリシャ時代でも血で血を洗うような殺し合いが続いてきた。しかし、その中から、科学技術文明を作り出した。日本が、非西洋諸国の中で、いち早くこの科学技術文明の素晴らしさを発見して取り入れ、国を造った。それは正しかったと思うんだけどね、西欧文明の一番悪いところで被害に遭った。それが原爆と原発です。西洋文明の生んだマイナスの極、その二つの洗礼を受けた。
科学技術というのは、自然を奴隷のごとく支配する文明でね。原子力という人類にとって危険な悪魔と手を結んだ。けれども悪魔と手を結ぶ事はできない。もう一回やっぱり、太陽の恩恵を受け、そして自然の森の恩恵を受ける。そういう姿勢に戻さなきゃいかん。これまでの自然支配の文明から、自然共生に変えていく、これはもう人類の急務です。それを日本が最初にやっていくべきだ。
*坂本 義和さん(国際政治学者 東大名誉教授)『グローバルな連携必要』 ・・・2012/2/19追加
<2012年1月27日毎日新聞・特集ワイド>より
・・・東京で3・11の揺れに見舞われ、庭に飛び出しながら脳裏に浮かんだのは「地球という感覚」だった。地球に優しくしていたどころか、災害のない期間は地球『が』優しくしてくれていたんですね。
・・・原発は、その地球全体に影響を与えるものだ。原発は極めて人工的な自国中心的な国家プロジェクト。それが制御不能となり、放射性物質は国家の領空・領海を越えて地球を蝕んでしまった。
・・・原発に限らず、私たちは『地球』という観点から物事を考える時代に入っている。そのためには国家に縛られない市民が国籍を超えて連帯する。・・・国家を超えて他社の生命を思う連帯が必要なのです。
<学徒の魂は真実のない国家よりも、国家のない真実を求める>戦没学徒の手記「きけわだつみのこえ」
*辺見 庸さん(作家・ジャーナリスト・詩人)著書『瓦礫の中から言葉を』 ・・・2012/ 2/8追加
第一章の終わりのあたり
・・・わたしは出来るだけ耳を澄まそうと思う。物の気配、或いは兆し、それから私が自分の故郷の海の近くで聞いていたような潮騒、海鳴り、それらからもたらされるような予感、予覚です。そういうことに対して、もっと敏感であろうとしている。
・・・かつて地震というものは、最大級でも、この程度までしかなかった。従ってそれ以上は想定しないですむ、というのは、データ主義から来た、不遜な行為でした。それは著しく反省しなければならない。大自然はそんなものではありません。宇宙の一瞬のくしゃみが、悪意でも善意でもなく、人間社会人類社会の破滅につながるのだということを考えなければならない。(☆期せずして3月19日のこのブログで私も3・11の地震のことを「地球のくしゃみ」と言っています)
・・・原発メルトダウン以降、わたしは『存在比』というすごい言葉を知りました。核燃料となるウラン235の存在比を、天然のウラン中の存在比0.71%より高くしたものが濃縮ウランというものだそうです。原子爆弾には存在比93%以上、一般の動力には3~4%のものが使われるといいます。
天然のウラン中の存在比を人為的に変えることとはなにか。
それは反宇宙的所業なのではないか。
そうした核を用いる発電が、本当に根源的に安全かどうか。
宇宙の摂理に照らせばどうなのかということを、もっともっと謙虚に考えなければならないと思うのです。
*小出 裕章さん(―未来への伝言を?と問われ)
・・・ウソをつかない。人に対してウソをつかない、自分に対してもウソをつかない。もし間違えたなら謝る。それさえできれば、原発力なんか有り得なかった。都会では引き受けられないほどの危険を抱えたものを、安全です、絶対事故は起こしません、と言い続けて、原子力を進めてきた。<9月25日テレ朝サンデーフロントラインより>
*古賀茂明さん
・・・電力会社の根回しが相当効いてきて、ほとんど、この改革が瀕死の状態になってきている。
*ヴァルターさん(スイスの内科医)
・・・子どもたちが原発の爆発直後にヨウ素剤を服用しなかったということか?信じられない・・・(顔を曇らせ、データを見るためコンピューターに向かう)。スイスでは原発から半径20キロメートル以内の住人は、全員ヨウ素剤を持っている。それが原発を持つ国の安全対策の基本であり、国民に対する責任だ。たとえ持っていなかったとしてもすぐに子どもに配るべきだった。
・・・放射能被曝によって父親の優性遺伝子が損傷されると子どもに病気が現れる。しかし、もし父親の劣性遺伝子が突然変異を起こした場合、子どもに受け継がれても、劣性遺伝子なので表面的には何の異常も起きない。
ドゥブロバ医師などの方法で長崎と広島の被爆者の遺伝子を調べたところ、突然変異はほとんどなかった。原爆は瞬間的なインパクトを与えたが、長期の低線量被曝を起こさなかったということなのだろう。
従って、私には、低線量被曝が遠い将来の世代に与える遺伝的な影響が大きな問題だ。これは人類にとっての倫理的問題でもある。
世の中には、いい事を言う人はたくさんいるのだけど、そういう意見が大多数にならないなんて、変。
池田晶子さんは言う。
・・・『理想を失うことなく持ち続けているというそのことだけで、それは十分に現実的な力として、この世界の根底で確実に働き続けているんだ』
加筆したり或いは時間の流れで変化し意味を失ったものは取り除く。
最上段に新しく加えたものを置くことにする。
******
*武満徹さん 秋山邦晴『現代音楽をどう聴くか』から・・・・ 2020年7月追記、(本の整理をしていて、見つけた言葉。だからまた捨てられなくなってしまう)
映画音楽についてのなかで
「私は、ひとつの嘘を真実たらしめるための役割を、音楽によって担いたいと思っています。台詞はあくまでも観念であって、音楽は、それを官能的な次元に置き換えて、直に働きかけねばなりません。音によって、言葉の観念は肉化されるのです」
*ヤニス・クセナキス 秋山邦晴『現代音楽をどう聴くか』から
「音楽は数学を支配しなければならない。そうでなければ音楽は数学になってしまう。それはまことにくだらないものだ。」
秋山/ かれにとっては、数学やテクノロジーが絶対なのではなく、逆にそれを生み出した人間の論理的な思考が重要なのである。
*浜 矩子(はまのりこ)さん/経済学者 『ビッグイシューNn318.創刊14周年記念インタビュー』 結びの言葉 ・・2017年9月追記
「経済とは何か」との質問に浜さんが、「愛です」ときっぱり答えていたのを聞いて以来、気になる人だ。
ビッグイシューにはコラムを連載していて、毎号楽しみにしている。
318号ではスペシャルインタヴュー。
その結びの言葉にめちゃ、納得。
・・・浜 『国家という装置の最終的役割は弱者救済です。弱者救済のための公助ですね。
自助できない人たちの生きる権利、人の生存権を保証すること。
国家という機関は、それができてこそ存在することが許される。そういうことだと思います。
国家のために市民が生きているのではないことは、確かだ。。
*絵本・アニメ 『戦争の作り方』 /りぼん・ぷろじぇくと 2016年11月23日追記
2004年にマガジンハウスから出版されたこの絵本。
現在、このストーリーの危惧する通りに、現実に戦争をする国になりつつある。
しかし、いま日本を動かしている政治家を選んでしまったのも国民。
政治に興味なくてあるいは、自分一人が投票しても大差ないと選挙に行っていない人、テレビが良いと言うからと選ぶ人、などが近くに居たら、是非、このアニメーション、見てもらってください。
ひとりひとりが考えるしかないのだ。
世武裕子(Sebu Hiroko)さんの音楽もとてもいい。
http://noddin.jp/war/
*キース・ジャレット 武満徹との対談から/1984年 2016年9月22日追記
・・・(キース)『わたしは自分で即興をするときに、自分ではリスニングと呼んでいます。
最初の音を聴けば、次の音がわかる。
でも最初の音を聴かないと、次の音は創作しなくてはならないんです』
・・・(武満)『僕も、作曲するのではなく、リスニング=聴くということだと思います。
作曲家は最初の聴衆です』
*パウロ・コエーリヨ 『星の巡礼』より 2016年8月8日追記
・・・か弱き生き物である人間は、常に自分たちが確実に死ぬということを自分に隠そうとしている。
人生で最も素晴らしいことをしようと彼らに思わせるものは、死そのものであることを、人は誰も見ようとしない。
彼らは暗闇に足を踏み入れるのを恐れ、未知を恐れている。
そしてその恐怖を克服する唯一の方法は、自分の人生が限られているという事実を無視することなのだ。
死を意識してこそ、もっと勇気を持つことができ、日々、さらに多くのものを得ることができるということを、彼らは分かっていないのだ。
なぜなら、死を意識した時、何も失うものはなくなるからだ。死は避けられないのだから。
*パウロ・コエーリヨ 『星の巡礼』より 2016年7月29日追記
・・・人生は素晴らしくて豊かなものだと教えようとすると、呪いに取りつかれそれに慣れきってしまってごくわずかで 満足することを学んできた人たちは、その考えを拒否する。
そんな考え方は悪魔のものだと思っているのだ。
打ち負かされるのが怖くて、人々は人生に多くを望みたくないのだ。
しかし、もし良き戦いを戦いたいと思ったら、世界を、見つけ出され勝ち取られるのを待っている素晴らしい宝のよ うなものだと、考えることが必要なのだ。
*中村 哲さん(アフガニスタンで働く医師) 著書『医者、用水路を拓く』 前書きより
このコラムのはじまりの、書き留めておきたい言葉、第一弾。
集団的自衛権を大多数の国民の意思に背きごり押ししてしまった政権、実際にフランスなどで起こる報復テロ、その報復にまた簡単に空爆をするフランスなどの国
平和憲法を持ちながら、日本も全く他人ごとではなくなってしまったこの時代に、もう一度一番上に持ってきます。
・・・飢餓と洪水を前に医療人はあまりに無力で、辛い思いをする。
清潔な飲料水と十分な農業生産があれば、病の多くは防ぎ得るものであった。
私たちは「百の診療所より1本の用水路」を合言葉に体当たりで実事業に邁進してきた。
この用水路建設事業によって、自然と人間、人間と人間の関係について、より深く気づくものがあったと感じている。
平和とは決して人間同士だけの問題でなく、自然との関わり方に深く依拠している事は確かである。
・・・内外がきな臭い風潮となり、人為の驕慢と錯覚に報いるかのごとく天変地異が世界で頻発する。
呑気に「人類の進歩発展」を謳歌する時代は終わった。
アフガニスタンでの体験は、この印象を強烈に裏付ける。
いったい私たちはどこに向かおうとしているのか、どうすればよいのか。誰も確たる答えを主張できないまま、流されていく。
だが他方、時流から距離を置き、より良い世界を真剣に模索する心ある人々も、あらゆる分野にいる。
私たちが持たなくてもよいものは何か、人として最後まで失ってならぬものは何か、
私たちのささやかな実践が、それに思いをいたす機縁となれば、苦労も報われると思っている。
武力とカネが人間を支配する時代にあって、私たちの軌跡そのものが、平和を求める人々に勇気と慰めをあたえられればこれに過ぎる喜びはない。
*池田晶子さん(哲学者) <14歳からの哲学 「戦争」の章より 2003年発行> ・・・2015年11月25日追記
このブログの石田雄さん『戦争に向かった 戦前と似ている』のところでも、引用したが、ここにも、もう一度まとめの部分だけ。
・・・「戦争している国同士は、必ず、自分たちの国が正義で、相手の国が不正なのだと思っている。
しかし、国なんて存在しないもの、頭の中にしかない作り事の、正・不正をどうやって判断する?
人間にできるのは、現実に存在する個人が、その置かれた現実の中で、いかに正しく行為できるか、それだけなんだ
・・・「戦争に反対すると口でいうのは簡単だ。戦争に加担するのも。
難しいのは、そもそも戦争とは何なのか、なぜ戦争するのかということについて考えることだ
*パウロ・コエーリョ <『アルケミスト』より> ・・・・2014・10・7追記
未だ続けている小学校での読み聞かせにも使っているので、再三読み返している。私にとってとても大事な本になった。読み返すたびに、ちょっとした言葉に納得し、付箋が増えていく。
ここでもまた、紹介してみる。
・・・錬金術師になるために旅をしているイギリス人の言葉
「君が何かを全身全霊で欲したとき、君は『大いなる魂』と最も近い場所にいる。
それはいつも前向きな力として働くのだ。
これは人間だけに限られた贈り物ではない。それが鉱物であろうと、植物であろうと、動物であろうと、単なる思いであろうと、地上にあるすべての物は魂を持っている。
地球上にあるすべての物は常に形を変えている。
なぜなら地球は生きているからだ・・・そして地球には魂があるからだ。
私たちはその魂の一部なので、地球の魂が私たちのために働いていることを、ほとんど認識していない。
・・・クリスタル商人の言葉
「お前にとって、クリスタルをみがくことは、否定的な考えから自分を自由にすることなのだよ」
・・・太陽と少年の会話の中で、少年の言葉
「私たちが今の自分より良いものになろうと努力すれば、自分のまわりのすべてのものも良くなるという事を、彼ら(錬金術師)は教えているのです」
* 宮崎駿さん 引退の記者会見から ・・・2013/9/7追記
・・・「『この世は生きるに値するということを、子供たちに伝えたかった」
*パウロ・コエーリョ <『第5の山』より> ・・・2013/8/11追記
・・・アクバルという都市の知事の言葉
「多くの世代にわたって、人間は(政治家は)自分の意思の力によって、押し付けようとした。
彼らは自分の望みを語りはしたが、人々が何を考えているのか、気にも留めなかった。
そしてこうした帝国はすべて、滅亡した。
いかに人の話を聞くかを学んだがゆえに、われわれの民は成長した。
つまり、他の人々がなにを望んでいるかに耳を澄ませて、
彼を満足させるためにできることを、なんでも行うのだ
その結果が、利潤なのだ」
・・・少年エリア「もっともすぐれた戦士は、敵を友人に変える者です」
*パウロ・コエーリョ <『アルケミスト』より> ・・・・2013/8/5 追記
・・・「お前がだれであろうと、何をしていようと、お前が何かを本当にやりたいと思う時は、その望みは宇宙の魂から生まれたからなのだ。それが地球におけるお前の使命なのだよ」
「お前が何かを望む時には、宇宙全体が協力して、それを実現するために助けてくれるのだよ」
*Keith Jarrett <Inner Views Chapter5より>
〈たかだ〉私はいつも耳栓を持ち歩いている。訴えても訴えても、色んなところの雑音は低くならないからだ。
耐えられない。
東北の地震のあと、唯一『静けさ』だけは素晴らしかった。皆が静寂の中で物を考えているのがわかった。
日本人市民の思考の浅さの原因はこれではないかと、常々思ってきた。経済至上主義のアメリカでさえ日本よりは騒がしくないと訪れたひとはいう。
BGMに重ねてスーパーのあちこちにあるラジカセや、繰り返しメッセージを垂れ流す小さい画面からの大音量。それが購買意欲に結びつくという発想が正気の沙汰でない。日本人を壊していくだけだ。
・・・「どこかに買いものに行った時、BGMでひどい音楽が流れていたので、店員に『よく一日中我慢できますね』と聞いた。その店員は『聞いていませんから』
ひとつの感覚を閉ざして、残るほかの感覚を完全に正常な状態に保つなんて事はできない。君が意識的にひとつの感覚を取り除いたら、君が考えている以上にもっと他にも多くのものを失っているはずだ。なぜなら、聴覚は単に聞くことだけじゃなくて、体全体の構造の一部だからだ」
*池田晶子さん(哲学者) <14歳からの哲学 「理想と現実」の章より 2003年発行> ・・・2013年1月8日追加
(たかだ)池田晶子さんの文章にはいつも、『なるべくたくさんの人が幸せに生きて欲しい、そのためにどうしても本当の事を伝えたい』という強い理想を感じ、共感し、感動する。
・・・「見える現実には、戦争や不平等がたくさんある。理想を持つ君は、それを変えたいと思い、理想の社会の実現を目指して、ボランティアをしたり、人々に訴えたりという実際の行動を取るかもしれない。そして、自分の力がとても及ばない事を思い知り、ああやはり現実というのはこういうものなんだと、挫折感を抱くかもしれない。
でも、決してそんなことはないんだ。理想と現実とは別物ではないのだから、(注:「こうしたい」という理想が無ければ人は何一つ行動する事は出来ない」という、それまでの流れから) 君が理想を持っている、それを失うことなく持ち続けているというそのことだけで、それは十分に現実的な力として、この世界の根底で確実に働き続けているんだ。
むろんすぐになんか実現しないさ。だって、世界にはこれだけの人々が居るんだもの。でも、君が理想を失わないのであれば、いつかは必ず実現するんだ。
「いつか」って、いつなのか。そんな事を知る必要はないと。正しい仕方で理想を持っている君なら分かるはずだ。
*Albert Einstain ・・・・2013年1月4日追加
・・・「教師の最大の任務は、想像と知識とへのよろこびを、目覚めさせる事である。」
*ゲーテ <若きウェルテルの悩み第一部より> ・・・2013年1月4日追加
・・・「悪だくみや悪意なんかよりも、誤解や怠惰のほうが、よっぽどいざこざの基になるんだね。少なくとも、前の二つのほうがたしかに珍しいんだ。」
*新井紀子さん(数学者) <12/26毎日新聞幸福論より> ・・・2012年12月27日追加
記者・井田純さんによるインタヴュー
―今年公表された日本数学学界の「大学生数学基本調査」では、<平均>の意味を理解していない学生が多い事などがわかりました。
・・・「平均を求めなさい、と言われれば大半の学生が出来ます。ところが、それによって何が分かるのかを理解していない。或いは、偶数に奇数を足すと奇数になる、という事は分かっていてもそれがなぜかを説明できない。
『わかる』と『できる』との違いは人工頭脳を研究している私にとっての主要テーマです。『わかってはいないけど、とりあえずできる』ような能力は、いずれコンピューターに取って代わられてしまう」
―社会に大きな影響がありそうですね
・・・「ある意味で、民主主義が成り立たなくなるのではという危機感さえあります。民主主義というのは、皆が感情にまかせるのではなく、論理的に考えて議論できるということが前提のシステム。様々な可能性について論理的に考えて、<まし>な選択肢を選び取る能力が失われた時に民主主義が成立するのか、とても心配です。
―民主主義にとっても数学的な思考は重要ですか
・・・「数学は定理自体が役に立つ事より、こうした議論の基盤となる論理のトレーニングを提供できると思うのです。
目的を考えれば、教育は本来、その人が20年30年後にどんな人間になっているかが大事なはずです。だけど、今の教育は、短期的な成果を求めるシステム。テストの点数や大学進学率を上げるためには最適化されている制度だと思います。数学では大量に練習問題を解いて解法を考え、社会や理科では大量に暗記する事が、短い期間の効率を考えると都合がよい。
教育に限らず、<投資>に対する<成果>という経済活動と考えるとらえ方が広まった結果ではないでしょうか。
*山折哲雄ささん(宗教学者) <11/21毎日新聞特集ワイドより> ・・・2012年11月24日追加
・・・高齢者が得てきたものを少しずつ次世代に譲っていく社会というのは品がありますよ。
・・・これからは、米中間における日本などというパワーバランスの発想を乗り越えて、文化の力で諸外国から尊敬される国家経営を目指すべきですね。産業立国から芸術文化創造立国へと国是が変わってほしいと思いますね。それだけの文化、芸術の蓄積がこの国にはある。
・・・あれだけの苛酷な原発事故を起こして、今後持ち続けていくことはありえない。軌道修正が必要。
*金時鐘(キム・シジョン)さん(詩人) 11月9日 毎日新聞特集ワイドより ・・2012年11月16日追加
・・・金さんは、地図にコンパスを下ろし自宅を中心に半径30キロの円を描いてみたという。原発事故の際に避難する「緊急防護措置区域」はこの範囲になる。
・・・「ここに原発があれば、知り合い皆が被害を受けてしまうのだとショックを受けた」
・・・「原発が立地していない地方の人も描いてみたらどうでしょうか」
*園子温さん (映画監督) ・・2012年10月14日追加
<死と涙 数えてみろ 10/12毎日新聞特集ワイドより>
・・・政治家のエネルギー政策論議で 『原発ゼロは非現実的』 『再生可能エネルギー産業が成熟してから』などの意見を耳にするたび、文章が抜けているだろ、本音を最後まで言えよと憤る。
『悲しい思いをする人がいても仕方ない』 『彼らには泣いてもらう。犠牲になってもらう』と。文章を最後まで残酷に言い放つべきではないですか。
*山田孝男さん ・・・・・・2012年10月2日追加
<9/24 毎日新聞「風知草」より>
―異端の経済学者・シューマッハー(1911~77)の予言>
経済膨張主義に対する警告の書・『スモール・イズ・ビューティフル』にこういう行があるそうだ。
<第一章 原子力/救いか呪いか(Salvation or Damnation?)>
・・・原爆より平和利用(原発)が人類に及ぼす危険の方がはるかに大きい
・・・「平和の土台は繁栄である」という現代の主流の考え方、それを万国がやれば地球が壊れていしまう
・・・脱原発は感情論だろうか。幸福は経済の戦略的抑制にある。
最先端を走って傷ついた日本がまず、異端に学び、世界に先駆けて主流のゆがみを正していく。
当然の事であると私は思う。
*2012年9月28日でMBSラジオのたねまきジャーナルが打ち切りになった。
福島原発事故の後、冷却出来なくなっているにもかかわらず、ぼっかーんと爆発しているにもかかわらず、大丈夫大丈夫と言い続けた嘘つきの学者達。
そんな中、この番組の小出裕章さんだけが本当の事を伝えてくれていた。
全国で聞けないので、心ある方がYoutubeにアップしてくださっていた。
すがるように、かじりついて聴いた。
しかし、一体どんな圧力なのだろう。恐ろしい。
最終回で、毎日新聞論説員の重鎮・近藤勝重さんがこう言った。
「世の中がおかしくなると、人が自分の人間らしさに気づいて行くね」
しかし、信じられないのだけれど、自分の人間らしさに気が付かない人もいる。
命より経済が大事だと言い切る人がいる。
自分の人間らしさに気が付かないのだから、人の命のことに思いが及ばないのは当然の事だ。
そういう人が勝手に世の中の片隅に生きているなら構わない。
しかしそういう人間が、いわゆる「偉い人」という位置づけにあり、人に物事を教えたり、人を動かしたり、国を動かしたりする。
皆が皆ではないだろうが、著名であったり、何か「偉い」とされる地位に居る人は、人間らしくない所の競争(例えば受験を勝ち抜くこと。『高い点を取る』ことが良いこと)や駆け引きがうまいひとがとても多いのかもしれない。人を蹴落とす、踏み台にすることを少なからず経験しているうちに、自分の人間らしさに気が付く感性は失われていのではないだろうか。
ソクラテスの言う、頭の良い事だけでなく、プラス! 音楽・文学・スポーツに秀でてバランスのよい人格である事、それが国を治める人の資格である・・・これは真実だと思う。いま政治や社会がそれを示している。
*白石一文さん (作家)
<2012年9月21日 毎日新聞 特集ワイド・原爆の呪縛―この国はどこへ行こうとしているのか>
・・・大事故が起きたとき、例えばたった一人でも生還できない任務を覚悟しなくてはならないような技術は許されない
・・・仕事のため、生活のために被ばくを我慢するしかないーそれが自分や自分の家族だったら―。そうした本来の人間としての想像力がかけているように思える
・・・人命と何かの価値を交換する事は悪だ、という根本的な考えに、原子力と言う技術はそぐわない
・・・電気を取り出す仕組みが原子力しかないのであればある程度やむを得ないという考え方はありえる。しかし他の発電方法があるうえ、少し節電すれば、大飯原発すら動かさなくても猛暑の関西でもなんとかなっていた。それぐらいのことなのに、もし何かあったら特攻隊が要求される。間違っていると思うね。
*池田晶子さん (哲学者) ・・・2012/4/29追加
<著書『メタフィジカル・パンチ』1995年文芸春秋社刊行から>
「学者さん」の章より
・・・学業的業績、いわゆる頭の良し悪しと、人柄の良し悪しとは無関係ではないか、そういう屁理屈を、皆が本気で信じているから、「学者」というあの良くも悪くも差別的呼称となるのだ。
アカデミズムの創始者プラトン、あるいはたぶん、よりソクラテスにおいて、「真実を知ること」と「良い人間である事」とは、同一の事柄を指示していた。近代においてこそ、「真実」とは「自然科学的真実」のみを言うという偏向が急速に生じたけれども、古代、「自然とは何か」「自然において人間が生きるとは何か」を考えるのは、哲学の仕事だった。真実を知ることと、よい人間として生きることを別々に考えられるわけがないのだ。なぜなら、真実とは何かと考えているのは、他でもないその人のはずだからである。真実を知る人が、真実の人でないのは、おかしい。
「知ること」と「生きること」とは別々のことであり、またそういうものだという思い込みは、このように近代以降、学問の専門化が定着してきたことに起因している。「学者」とは、この世の俗事とはなにか別のことをする別の人たちであると。
・・・「学者」とは本来、「詩人」がそうであるような、そのような傾向若しくは体質の人のことを言うはずだ。何の役にも立たないのに詩を書く人がいるように、何の役にも立たないのに、知りたくて学ぶ人がいる。何の役にも立たないのになぜそんなことをするのかというと、言うまでもない、彼らにとってそれが「生きる」ことだからである。知ることが生きる事だからである。真実を知ることが生きる事であるその人は、したがって、必ず真実の人、つまり「よい」人であるはずだ。こういう人のことだけを「学者」、本物の学者と私は呼びたい。少ないでしょうが大事な人たちです。
*辺見 庸さん(作家・ジャーナリスト・詩人)著書『瓦礫の中から言葉を』 から ・・・2012/2/29追加
・・・福島原発から放出された放射性セシウム137は広島に投下された原子爆弾の168個分という記事に、私はまだしつこくこだわったいます。無意識で透明な残忍性をその文面に感じてしまうからです。原子爆弾168個分、一万五千テラベクレル、ヨウ素131は16万テラベクレル。この記事にも顔がありません。数字はべらぼうで、やはりのっぺらぼうなのです。
いかにも具体的、実証的に見える数字を列挙していながら、そのじつ、この記事はあまりにもとりとめがないのです。とりとめがないというのは、大津波で街ごともっていかれた空間のように、空漠として、そこはかとない酷薄さを漂わせています。
数字は膨大です。私の考えでは、膨大さは結局「無」に通じ、太陽が地平線上に出てこない極夜にひとりとりのこされたような恐怖のもととなります。膨大=無=夜 の果てないめぐりは、核時代の無限循環です。そこでは善意も悪意も誠意も無効にされてしまいます。
言い方をかえれば、膨大と無はよく似ていて、いずれも虚無と不安の発生源です。膨大と無の同居 ―それが残忍な現代社会の最大の特徴です。それは3・11の以前からつとにそうだったのです。ですから、こういうべきかもしれません。けっして3・11が残忍だったのではない。現代社会の残忍性が3・11によってついに証明されたのだ、と。
*小出裕章さん<2・22たねまきジャーナルより> ・・・2012/2/24追加
『稼動していなければ安全なのだろうか』というリスナーの質問に対して
・・・原子力発電所が動いていればもちろん危険だが、停止したところで、安全になるわけではない。
原子炉圧力容器は分厚い鋼鉄製の容器で、中性子により劣化をする。
しかし劣化は原子炉が運転中でなければ起きない。停止してしまえば、0ではないけれども基本的にそれ以上劣化する事は考えなくてもいい。しかし、もうすでに、たとえば玄海1号機は、普通の温度状態でガラスになってしまっているがそれ以上にもろくなるということはない。しかし、ガラスのようになってしまったものを、壊れないようにお守りしなければいけない、という仕事は残る。
原子力発電所はせいぜい40年しか動かないけれども、解体をするためにはもっと長い時間がかかる。
原子力発電所を解体したところで、核分裂生成物はその後何百年何千年、消えない。そして使用済み核燃料そのものは100万年、それをどこか安全な所でずーっとお守りをし続けなければいけない。
そういうものです。
*梅原 猛さん(哲学者・京都市立芸術大学学長) ・・・2012/ 2/24追加
<富士山が世界遺産に登録される見通しが強まってきた中、富士山の魅力を語る座談会で。毎日新聞2/23>
・・・西洋文明というのは、ギリシャ時代でも血で血を洗うような殺し合いが続いてきた。しかし、その中から、科学技術文明を作り出した。日本が、非西洋諸国の中で、いち早くこの科学技術文明の素晴らしさを発見して取り入れ、国を造った。それは正しかったと思うんだけどね、西欧文明の一番悪いところで被害に遭った。それが原爆と原発です。西洋文明の生んだマイナスの極、その二つの洗礼を受けた。
科学技術というのは、自然を奴隷のごとく支配する文明でね。原子力という人類にとって危険な悪魔と手を結んだ。けれども悪魔と手を結ぶ事はできない。もう一回やっぱり、太陽の恩恵を受け、そして自然の森の恩恵を受ける。そういう姿勢に戻さなきゃいかん。これまでの自然支配の文明から、自然共生に変えていく、これはもう人類の急務です。それを日本が最初にやっていくべきだ。
*坂本 義和さん(国際政治学者 東大名誉教授)『グローバルな連携必要』 ・・・2012/2/19追加
<2012年1月27日毎日新聞・特集ワイド>より
・・・東京で3・11の揺れに見舞われ、庭に飛び出しながら脳裏に浮かんだのは「地球という感覚」だった。地球に優しくしていたどころか、災害のない期間は地球『が』優しくしてくれていたんですね。
・・・原発は、その地球全体に影響を与えるものだ。原発は極めて人工的な自国中心的な国家プロジェクト。それが制御不能となり、放射性物質は国家の領空・領海を越えて地球を蝕んでしまった。
・・・原発に限らず、私たちは『地球』という観点から物事を考える時代に入っている。そのためには国家に縛られない市民が国籍を超えて連帯する。・・・国家を超えて他社の生命を思う連帯が必要なのです。
<学徒の魂は真実のない国家よりも、国家のない真実を求める>戦没学徒の手記「きけわだつみのこえ」
*辺見 庸さん(作家・ジャーナリスト・詩人)著書『瓦礫の中から言葉を』 ・・・2012/ 2/8追加
第一章の終わりのあたり
・・・わたしは出来るだけ耳を澄まそうと思う。物の気配、或いは兆し、それから私が自分の故郷の海の近くで聞いていたような潮騒、海鳴り、それらからもたらされるような予感、予覚です。そういうことに対して、もっと敏感であろうとしている。
・・・かつて地震というものは、最大級でも、この程度までしかなかった。従ってそれ以上は想定しないですむ、というのは、データ主義から来た、不遜な行為でした。それは著しく反省しなければならない。大自然はそんなものではありません。宇宙の一瞬のくしゃみが、悪意でも善意でもなく、人間社会人類社会の破滅につながるのだということを考えなければならない。(☆期せずして3月19日のこのブログで私も3・11の地震のことを「地球のくしゃみ」と言っています)
・・・原発メルトダウン以降、わたしは『存在比』というすごい言葉を知りました。核燃料となるウラン235の存在比を、天然のウラン中の存在比0.71%より高くしたものが濃縮ウランというものだそうです。原子爆弾には存在比93%以上、一般の動力には3~4%のものが使われるといいます。
天然のウラン中の存在比を人為的に変えることとはなにか。
それは反宇宙的所業なのではないか。
そうした核を用いる発電が、本当に根源的に安全かどうか。
宇宙の摂理に照らせばどうなのかということを、もっともっと謙虚に考えなければならないと思うのです。
*小出 裕章さん(―未来への伝言を?と問われ)
・・・ウソをつかない。人に対してウソをつかない、自分に対してもウソをつかない。もし間違えたなら謝る。それさえできれば、原発力なんか有り得なかった。都会では引き受けられないほどの危険を抱えたものを、安全です、絶対事故は起こしません、と言い続けて、原子力を進めてきた。<9月25日テレ朝サンデーフロントラインより>
*古賀茂明さん
・・・電力会社の根回しが相当効いてきて、ほとんど、この改革が瀕死の状態になってきている。
*ヴァルターさん(スイスの内科医)
・・・子どもたちが原発の爆発直後にヨウ素剤を服用しなかったということか?信じられない・・・(顔を曇らせ、データを見るためコンピューターに向かう)。スイスでは原発から半径20キロメートル以内の住人は、全員ヨウ素剤を持っている。それが原発を持つ国の安全対策の基本であり、国民に対する責任だ。たとえ持っていなかったとしてもすぐに子どもに配るべきだった。
・・・放射能被曝によって父親の優性遺伝子が損傷されると子どもに病気が現れる。しかし、もし父親の劣性遺伝子が突然変異を起こした場合、子どもに受け継がれても、劣性遺伝子なので表面的には何の異常も起きない。
ドゥブロバ医師などの方法で長崎と広島の被爆者の遺伝子を調べたところ、突然変異はほとんどなかった。原爆は瞬間的なインパクトを与えたが、長期の低線量被曝を起こさなかったということなのだろう。
従って、私には、低線量被曝が遠い将来の世代に与える遺伝的な影響が大きな問題だ。これは人類にとっての倫理的問題でもある。
この記事へのコメント