徒然草 第百七十一段 貝を覆ふ人が

 <第百七十一段>
 貝を覆ふ人の、わが前なるをば置きて、よそを見渡して、ひとの袖の陰、膝の下まで目を配る間に、前なるをば人に覆われぬ。よく覆ふ人は、よそまでわりなく取るとは見えずして、近きばかり覆ふやうなれど、多く覆ふなり。碁盤の隅に、石を立ててはじくに、向かひなる石を目守りてはじくは当たらず、我が手元をよく見て、ここなる聖目を直ぐにはじけば、立てたる石必ず当たる。

 よろずのこと外に向きて求むべからず、ただここもとを正しくすべし。 

 <現代語訳/武田友宏 角川ソフィア文庫より>
 ・・・貝覆いをする人が、自分の前にある貝を見張らず、よそを見渡しながら、他人の袖の陰や膝の下まで視線を走らせている隙に、手元の貝を他人に覆われてしまう。上手な人は、よその貝まで無理に取ろうとせず、自分の手元の会ばかりを覆うように見えるが、最終的には人よりも多く覆っている。

 碁盤の隅に碁石を置いて、対角線上の向こう側にある意思に当てようとはじく時に、向こうの石を見つめながらはじくと当たらない。自分の手元をよく見て、手前の聖目を見つめながら対角線上を真っすぐにはじくと必ず命中するものだ。

 何事も、自分の外に向かってあれこれ求めてはならない。自分に目を向けて、自分が今やるべきことに全力を注げばよいのだ。

*****
 深いなあ。
 ひれ伏しますわ。
 

心に響く言葉  詩人・金時鐘(キム・シジョン)さん 2012年11月9日<毎日新聞・原発の呪縛>より

詩人・金時鐘(キム・シジョン)さん <他者の葛藤と兼ね合え> 2012年11月9日毎日新聞 記者:宮田哲さん
     『原発の呪縛 日本よ!この国はどこへ行こうとしているのか』 から抜粋させていただきます。



私は見ました。
消えていった言葉の
風にしなるもがきを見ました。
神々がひそめてきた天外の火を
利便さに代えた人智の驕りを、
昼をもあざむく不夜城の
いつ果てるともない虚飾の浪費を、
その文明の 畏れを知らぬ退廃を。
(「夜の深さを 共に」より)


 ・・・「宇宙から見ると一番光り輝いているのは日本列島だそうです。原発の火は地球上になかった火。その火が生み出す電気の光が、闇の暗さを追い払ってしまった。でも、夜の深さは未知なる物の怖さを教えてきた。暗闇がなくなれば人から謙虚さは失われ、人間がやることは絶対安全というおごりが生じます。原発の光は虚飾の光です」

 日本植民地下の朝鮮で生まれ、16歳で終戦。南朝鮮労働党員だった48年、済州等で朝鮮半島の分断に反対する市民らが起こした「四・三事件」で警察の追われ、翌年、日本に逃れた。

 原発には一貫して反対だった。
 ・・・「津波といった自然災害の被害は元に戻せなくても修復が可能だが、核の被害は修復不可能です

米国が核実験をするたびに雨が降ろうが座り込みをする広島の市民。 
 ・・・「のどもとまでつきあがってくる思いを抱いて人々は生きている。その思いに共鳴して、言葉に出来るのが詩人なのです」

 ・・・「詩とは一番美しいことを表現するのにこだわる創造行為なのだから、阻害するものには反対しないといけない」

 『がんばろう』の連呼も疑う。
 ・・・「情感あふれる言葉は、人から考える力を押しのける事があります」
 ・・・「例えば『絆でつながって生きて行けるんだ』と歌っているけれど、被災者の心はそれほど単純でしょうか。事故前は原発のおかげで生活できた過疎の町の住民にとって、原発無しにまた生きるのは不可能かもしれない。だから、事故はもうごめんだという思いと、原発無しで新しい生活が始められるかという葛藤がある。そこにこそ視点を置くべきだ」

 私たちは情緒に流され、見るべきものを見過ごしていないか。金さんは政治状況に危機感を持つ。
 ・・・「あんな原発事故が起きたら、事故を発生させた政治システムは批判されねばならない。政権与党として安全神話を言いふらしてきた自民党の責任をなぜ追及しないのですか。追及も受けずに、政権復帰しようかという事態になっているのはおかしい」

*誰がおかしいかというと、政治家・マスコミはもちろんだけど、それを選び許し、今、再び支持しようとしているような、愚かな国民です。考えずマスコミの後を追いとりあえずなんだか反対しておこうと思ってはいないか。反対した先には原子力推進が待っているのに。

 ・・・「電力会社は徐々に『原発が動いて当たり前』という空気を送っている。政府は国民の気質を知っているのでしょう」

 事故から1年8ヶ月。政治の潮目が変わったと見る。
 ・・・「安倍晋三自民党総裁や、新党を作る石原慎太郎前都知事ら戦前回帰をもくろむ人が表舞台に出てきた」
 安倍氏は集団的自衛権について「行使を認めるべく憲法解釈を変更する必要がある」石原氏は現憲法は押し付けられたものとして廃棄を主張する。
 *という事は戦争する方向ということ。押し付けられたものでも、結果いい所はいいではないの。
 ・・・「おののきを感じない人が多い。安部氏も石原氏も原発が必要と主張している。原発問題と政治問題は重ねて見る必要があります。使用済み核燃料から生産されるプルトニウムは核兵器の原料になります。核武装できる手段を持ち続けたいということでしょう」
 天蓋の火で闇を払う、畏れを知らぬ退廃・・・

 今、被災地の人々とどう心を結べばいいのか。金さんは、地図にコンパスを下ろし自宅を中心に半径30キロの円を描いてみたという。原発事故の際に避難する「緊急防護措置区域」はこの範囲になる。
 ・・・「ここに原発があれば、知り合い皆が被害を受けてしまうのだ」
とショックを受けた。
 ・・・「原発が立地していない地方の人も描いてみたらどうでしょうか」 

東京に戻って、自宅から半径30キロの円を描いた。子供たちの学校も、妻の勤務先も全てがすっぽりと収まっていた。  [記者:宮田哲]

吉見俊哉さん(社会学者) 「『平和利用』の夢覚ませ」  11/2毎日新聞・特集ワイド

11月2日 原発の呪縛 日本よ! この国はどこへ行こうとしているのか よりまとめ
http://mainichi.jp/feature/news/20121102dde012040030000c.html

社会学者 吉見俊哉さん(東大大学院情報学教授)

・・・「(東京電力福島第一原発に近づけるぎりぎりの地点に立ったとき)地中海や瀬戸内海沿岸のように海と穏やかな丘が調和した風景と、放射能汚染とのコントラスト。このギャップをどう受け止めていいか分からず、戸惑いました」
 
 この衝撃はひとつの疑問へ。
   <広島・長崎を経験したはずのこの国が、1999年のJCO臨界事故などに続いて今また「被ばく」に苦しむ、この「連続性」をもたらしたものは何なのか。>

1955年 東京日比谷公園で「原子力平和利用博覧会」が行われた。
・・・「広島・長崎・第五福竜丸と続いた原水爆の記憶はもう忘れよう、原子力は便利で豊かな未来生活をもたらしてくれますよ、と。過去の記憶を未来の夢に変換した」

遡って、1953年12月米国アイゼンハワー大統領は国連総会で原子力の平和利用を訴えた。
  「アトムズ・フォー・ピース」演説。
・・・「被爆国の日本が導入すれば、原爆投下への非難をかわせるうえ原発輸出でアメリカ産業界の利益につなげたいとの思惑があった」

  「日本では、被爆国だからこそ原子力の利用は平和の象徴になるとの声が高まり、植民地を失い資源不足なのだから原子力に頼るべきと言う論調も高まった。そうして米国にとっての〝原子力優等生"になっていった」
  
1970年の大阪万国博覧会・開催日に、米ゼネラル・エレクトリック社が建設した福井県敦賀原発1号機が営業運転を開始し、会場に電気を送った。追いかけるように米ウェスチングハウス社が手がけた美浜原発からも送電された。
・・・「『この国にこと原子力の平和利用が必要』との歪んだ論理を完成させたのが、あの万博だったんです」

*****

 <被爆国>だからこそ<平和利用>という論理の飛躍に、大きな力が加わった事は、今から考えればおそろしいほど明らかだ。万博は私も覚えている。あの頃の日本は、ものすごい勢いだったと思う。人々は経済成長することに眼を奪われ、考える事をしていなかったと思う。確かに、アメリカが何事においても御手本だったのだ。<ジャズ>然りである。

 でも今はちょっと違う。
 何らかの力を受けているマスコミや新聞の情報以外にも、さまざまな情報を得ることができる。
 嘘はばれる。
 自分で求めれば真実を知ることができる。


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吉見さんはこう結ぶ

・・・「簡単ではないが今こそ日本人は夢から覚めて『米国の笠』の外に出ることを考えるべきではないか
  「原発はコントロール不可能な技術であり、リスクはあまりにも大きい。きちんと年限を区切り、ゼロにするべきです。夢を見ていたのは原子力ムラだけじゃない、日本全体。問題は電力消費依存の豊かな生活を我々が手放せるかどうか。夢から覚めるのを拒否すれば、悲劇はまた繰り返されます」


『原発ゼロ」戦略どこへ 毎日新聞10/16特集ワイド 自民政権誕生したら

「原発の比率は下げるが、30年代にゼロにする考え方はとらない
 自民党の安部晋三総裁は経団連の米倉弘昌会長との懇談でこう断言し、財界との共同歩調をアピールした。

自民党のエネルギー政策の基本方針は
 「安全第一主義を掲げ、さらに再生可能エネルギーの導入で早期に原子力に依存しなくてもよい経済社会構造を目指す。10年以内に電源構成のベストミックスを確立する」
 ― としているがもちろん「原発ゼロ」の文言はない

古賀茂明さんは
 「アメリカは自国では再処理事業をしていない。だが途上国の原発保有が増えれば使用済み核燃料の問題が各地で生じ、核のゴミが世界中に広がる事を懸念している。そこで日本に再処理をさせたいのが本音。

6月、原子力基本法に
 「わが国の安全保障に資する」との目的が追加された。
 これは、自民党の主張で入れられた経緯がある。
これに対し古賀さんはいう。
 「核武装よりもむしろ、核燃サイクルを進めることによって、アメリカの国際安全保障戦略に協力する方向性を固めている事が透けて見える」

*****

世界では、福島を見て、原発から手を引く国々がある。

一方日本は、原発を推進する自民党が地方選で勝っている。

いったい!

島薗 進さん(宗教学者・東大文学部教授)/2012年10月19日 毎日新聞・特集ワイド<原発の呪縛>

島薗 進さん(宗教学者・東大文学部教授)/2012年10月19日毎日新聞・特集ワイド<原発の呪縛>よりまとめ
   毎日jp: http://mainichi.jp/feature/news/20121019dde012040010000c4.html

 昨年6月、東大柏キャンパスの空間線量が0.38~0.50マイクロシーベルトで低い線量といえないのに、本部が大学掲示サイトで「健康に何ら問題ない」と発表。それに反発し同僚3人と声明を出し約70人の教員を動かし、本部に発表を取り下げさせた。
 
 20世紀後半、環境破壊や都市の貧困が目立つようになった時、カルト的な宗教や精神世界へ人々が向かったのは―
 ・・・『近代合理主義こそが全であるという信念が、広い層の人々によって疑われるようになったから』

 原発事故後の社会変化がぴたっと重なる。
 ・・・『色んな枠組みが崩れてきているのは確かです。自民党の支持母体だったJAグループ(農協)や宗教界が脱原発を打ち出し、かつての左右・体制反体制と違うところで行動する組織・個人が増えている』
 今年7月、大飯原発の再稼動反対の新宿でも右翼の街宣車が横付けし「右翼だけど脱原発」と書いたプラカードを見せ走り去った。
 ・・・『原発問題は左右で区別できなくなった。生活基盤が壊されることへの反発、<いのち対カネ>どちらを取るかみたいな発想が行き渡っていますね』


 当然、反動もある。
 ・・・『社会秩序の揺らぎに対し、尖閣問題などで愛国心、ナショナリズムを盛り立てるキナ臭い動きがある自民党支持率が上がっているのを見ると、脱原発に対する巻き返しは無視できない

 日本の原発事故に欧州諸国は即座に反応し、いくつかの国は脱原発を決めた。震災の時、たまたまイタリアにいた島薗さんは、敏感に反応したイタリア人が『大好きになった』という。
 ・・・『イタリア・スイス・オーストリア・ドイツ・ベルギー・スウェーデンなど、キリスト教会の精神的影響が強い国が脱原発の道を進んでいる。こうした国々はもともとエコロジー感覚が強い。植民地主義で自然を支配し領土を広げてきた英米仏やロシアなどの核を持つ安保理事国と、対する北中南欧の国々が違う方向を向いている印象がある

 また、欧州はチェルノブイリ原発事故を身近で経験したのが大きい。
 ・・・『子供の甲状腺がんの軽視など、科学者の情報隠蔽や政治のうそを目の当たりにしてきたからこそ、自分達で決める道を選んだ

 科学への不信感は大学一年のときに遡る。島薗さんは医師になるため猛勉強し、東大に受かった。
 ・・・『金沢大付属高時代、自分の道を考える前に競争に乗った。現在の経済にも似て、目的を定める前に競争に勝たねばならない。そこに疑問を感じていた』
 大学に入った67年、医学部の闘争が始まる。
 ・・・『先輩達の闘争を見ていて、医学部の権威主義、ごまかしを知った。命を守る学問という姿勢が欠けているように見えた』

 原発をどう見るかは<倫理の問題が関わる>と島薗さん。
 ・・・『人の命を脅かす可能性がある技術を経済的利益があるからと肯定したり、被害を軽く見ざるを得なくなるからです。現に、真実を隠しゆがめることに科学は関わってきた。どういう社会を望むかも倫理の問題。経済優先か、自然をむさぼらない暮らし方を求めるかより幸せな生活のあり方は何かという価値観を問うのも倫理的な問いですね』


*****

全く同感だ。

自らの利益・権威におぼれた学者や政治家・官僚達が、『青臭い』とか『非現実的だ』と言い放つ。
しかし、どうしても明らかなのは、<いのち>があってのものだということ。

JAが脱原発を宣言したのも、農業はいのちと直接繋がっている大事な産業であるからだ。命より大事なものがあろうはずがないことに、土に触れば分かる。

小出さんや島薗さんのような、まともな学者の言葉に、市民はきちんと耳を傾けなければいけないと思う。

もう絶対に、原子力を推進するような政府に戻ってはならない。
絶対に!


原発を作ったのはいったい誰? 今もう一度。

日本をこんなに54基もの原発だらけにしたのは、いったい誰?

それは自民党。絶対に忘れてはならない。民主党政府が、『2030年に原発0』と言ったとたん、経済界もマスコミも、アメリカも(アメリカがと言うべきか)、とたんにじたばたしている。
自民党と共に原発を推進してきた者どもがじたばたしている。
しかし、新聞による政党支持率は自民党が26%でトップ!考えられない。

原発だらけにする政府を選んできたのは、いったい誰?

何十年も行ってきた自民党の政治を、政権が変わったからころっと変わる訳がない。目標を立て、少しずつそれに向かっていくしかない。なのに、約束を破ったと、自分達がやってきた事を謝りもせず、攻撃する自民、そうだそうだと大きく伝えるマスコミ。新聞もしかり。
いま、本を読み、ネットで注意深く調べれば正しい情報は手に入れられる。でもそれが出来ない人、怠る人、は鵜呑みにしてしまう。

マスコミの力は恐ろしく強いのだなあと改めて思う。
しかし!マスコミに答えを求めるのでなく、市民が自分で考えなくてはこの国は絶対に変わらない。

原発事故後の参院選で、原子力を推進してきて謝りもしない自民党を勝たせるこの国民ってなに?と思ったけど、今、かなり危ない。
今、まさに、また原発を推進する方向へと国民自ら進もうとしている。

福島を見よ!
事実ははっきりとそこにある!

ふがいないけれど『原発0』と言えるのは、民主党だからではないのか?

『原発0』になると困る者が、『マスコミ』を動かし、『原発0』を、『荒唐無稽で軽薄な非現実的考え』と見せようとしている、その力を感じませんか?

『原発0』は即ち、『核燃料サイクルをやめる』という意味で、即ち、『核を持たない』という事になる。
ものすごく大きな転換だ。
これまでの核開発推進の何十年もの流れのなかで、金の流れる仕組みが出来上がっている。その中に居るものは死に物狂いで猛反発する事は簡単に予想出来る。

人の命より大事なものがあるらしい。

IAEAは核を管理しようとしているだけだ、核をなくそうとしているのではない。
忘れてはならない。

今、もう一度事故があれば日本は終わりだ。或いは世界が終わりかもしれない。

事故がなくとも、溜まりに溜まった放射性核廃棄物は、無毒化せず、これからも地球とそこに住む生命を10万年脅かし続ける。

福島を見よ!

2号基は未だどうなっているのか誰もわからない。どれだけの放射性物質が土に、海に流れているか、魚に蓄えられているか。
そして何よりも、まず、どれだけの人の人生が、台無しになったか。
そしてこれから、どれだけ多くの子供達がガンや免疫系の病気に苦しむか。
遺伝的にどういった影響が出るのか。
・・・これからずっとその不安を抱える。

これらが本当の現実である事が、明らかでありながら、まだ、<原子力は必要である>と言える者は、邪悪といえないか。
原子力の正当化は不可能である。

8月に行われた討論型世論調査で、
 『原発をやめたらいったい誰が困るんですか?』という市民の質問に、
鈴木達治郎原子力委員会・委員長代理は
 『電力会社と立地自治体と製造会社』と、きっぱり。
委員長代理であってもどうしようも出来ないという無力感からの発言であろうか。

自民党が衆院選で勝てば、誰が党首になろうと、3年前までのこの国を腐らせてきたあのやり方に戻ろうとする。
党首候補は誰ひとりとして、原子力問題の本当の事実については語ろうとしない。福島の人たちにわびる事すらしない。
自民が勝ち、原子力を元通り推進し、必ずや起こる地震により或いは、間違いを犯す人間により、事故が起きたときにも、『国民がそれを選んだのではないか!』と。きっと逃げるでしょう。
市民の幸せを願うべき政治家とは、どうしても思えない。
しかもマスコミはそこを取り上げない。

原発を作ってきた有名な企業こそ、『我が社ではもう原子炉は作らない、完成したものも輸出などせず廃棄し、自然エネルギーによる発電技術の開発に転換する!』と、声を上げればいいのにと思う。
もしそう声を上げ実践すれば、世界的を変えるかもしれない。
2番目より1番目が歴史に残る。今のうちだぞ。

正しいもののほうに動く、そのほうが、うまく行くに決まっている。生きている意味があるってものだ。

<経済>の実態はない。命なしには経済もクソも無い。

『現実』とは、一人ひとりの『幸せ』だ。

*****

私の周りには、幸せになって欲しいと思う人がいて、その人はまた幸せになって欲しい思う人がいてと、どんどん広がっていく。
身近なところから、命の大切さを共有すればするほど、穏やかに、存在する意味のある世界になっていく。

邪悪な私欲の周りにも、それならば私も、それよりも私がと、どんどん邪悪な意思が生まれていく。

「政治」という私たちの幸せのためにある組織・形態が、私欲に埋もれるなどあってはならない
 ・・・と2500年前、ソクラテスも言っているわけで・・・。

愚かなのだなあ人間は。繰り返している。

非力だ。

『原子力に頼るべきではない。』 

自分の命に係わり、これからの命の未来に係わる、こんな明らかで、少し考えれば分かる当たり前な事でさえ、<金を儲ける>或いは<権力を持つ>という欲には、勝てないのか。

音楽に出来ること。あー、何と小さい事よ。
でも、できることはやろう。
できるだけ良い世界で、一度きりの人生を生きたい。

物理学者・池内了さん「お任せ」せず実践を」毎日新聞/7月20日/原爆の呪縛 日本よ!より

まったく目にも耳にも入っていないかのごとく、事実と民意を無視し続け、勝手に進んでいく政治。
誰がガス室に送られたりギロチンに掛けられるわけでもないけれど、『恐怖政治』と言えないだろうか。
正義も国民の幸せもどうでもよく、自分達の利害関係のみで動いているように見える。
それって犯罪者の理論に似ていないか?

7月20日毎日新聞夕刊の特集ワイド「原爆の呪縛 日本よ!―この国はどこへ 行こうとしているのか」より
                         http://mainichi.jp/feature/news/20120720dde012040016000c.html
物理学者の池内了さんのお話。一部を紹介させていただきます。
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「この夏が最大のチャンスだったんだけどね」

「私たち国民のほうはすっかり覚悟を決めていたわけですよ。この夏は原発抜きでやろうって。企業も生産シフトや自主電源の確保などの準備をしていた。この夏を乗り切れば『なーんだ、やれるじゃないか』となって、脱原発社会への自信をつけられるはずだった。それなのに再稼動してしまうなんて。」

「『君子豹変し、小人面を革む(あらたむ)』 つまり、徳の高い人ほど自分の過ちを認め、立場を改める。小物は過ちを犯しても、えへへ、と顔をゆがめてごまかすだけ、という意味です。」 

「東京電力福島第一原発事故以来、ほとんどが沈黙を守っている。自分達がどこで誤ったのか、今後どうするべきなのかをきちんと語る責任があります。科学者は今こそ『君子豹変』しなければなりません」

「実践の伴わない主張は弱い」
「太陽光パネル1枚だけなら10万円足らずで買える。ベランダに昼間6時間置くだけでパソコンが20時間使えます。まずは自分の暮らしを変えましょう」

「原発の分をカバーするには、太陽光発電を導入する世帯を焼く1500万に増やさなければならない。しかしその半分を皆で節電すれば800万世帯でいい。これを10年で実現していく。脱原発化にかかるお金と時間を我々皆で支えていく。決して『お任せ』ではなく」

「大切なのは、原発は反倫理的であるということを意識して生きる事。
 第一に空間的に反倫理的です。過疎地に押し付け都会の人間はのうのうと暮らしている。植民地的発想によって成り立っている。沖縄基地問題と同じです。
 第二に時間的にも反倫理的です。我々が電気を使って優雅な生活を送り、子孫に核廃棄物などのツケを押し付ける」

「故郷・姫路は空襲に遭ったが、姫路城だけはやられませんでした。僕の勝手な想像ですが、操縦桿を握る兵士は城の美しさにどうしても撃てなかったのではないか。それが文化の力。暴力の力ではない、本当の力」

「僕は科学は文化だと思っているんです」
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小出裕章さんや大江健三郎さん、村上春樹さんたちと同じだ。
徳の高い人たちは、謙虚で想像力に満ち、静かでやさしい。

『音楽の力』も文化の力。本当の力。と信じている。

内橋克人さん 「生産」より「生存」条件 毎日新聞6月29日特集ワイドより 全く同感!

 私のライブでも署名していただいた、『さよなら原発1000万人アクション』呼びかけ人の一人の内橋克人さん(経済評論家)の記事を 抜粋して紹介します。
 全く同感!

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 毎日新聞6月29日夕刊<特集ワイド 原発の呪縛 日本よ!
                     ―この国はどこに行こうとしているのか 記者/井田純>
 全文はこのリンクで見て下さい http://mainichi.jp/feature/news/20120629dde012040069000c.html

 
 <要約>
 6月15日、大江健三郎さん、鎌田實さんとともに、藤村官房長官と面会し、750万人分の署名を手渡すため、内橋さんは首相官邸にいた。
 なんと大飯原発再稼動の最終決定が伝えられたのは翌日16日。面会を兼ねて申し入れていたが、急きょ「前日」に指定してきた!その意図は何だったのだろか。

 86年に出版された著書「原発への警鐘」のなかで放射線被曝とがんとの関係について調査を行ってきた米国のマンクーゾ博士の言葉。「スロー・デス(時間をかけてやってくる死)・・・死は徐々に、二十年も三十年もかけて、ゆっくりとやってきます。原子力産業はクリーンでもなければ、安全でもありません。それは殺人産業といっていいでしょう。」
 原発再稼動の決断を発表する野田首相の演説を聞いて、内橋さんの脳裏に30年前のこの言葉がよぎった。

 「首相は『私の責任』というがこれほど責任のない言葉はない。言葉の矛盾なんです。
 20~30年後、政権にはいない。さらにこの世にいなくなってから生まれてくる命へのリスクに、どう責任を取るというのでしょうか。
 また、『国民の生活を守るため』というが、生活というのは人間の命あってのことです。人間の命というものをリスクにさらしながら生活を守るという事はありえない。この言葉の空疎さ。
 今ほど民意と政治がかけ離れた時代はないんじゃないか
 
 「日本は依然として戦前と断絶してませんね。国民の合意なき政策のメカニズム階層社会と貧困も

 ドイツの反応を振り返る。
・・・大震災発生から2日後の3月13日夜、首相府に政権幹部が集まり、原子力政策についての対応を協議。
  翌14日には「原発維持」からの路線転換を発表。翌月にはエネルギー政策委員会を発足。「安全なエネルギーに関する倫理」を論じた。
  何が決まったか・・・
 「次の世代が、本当に人間が人間として生きるにふさわしい条件を持続し維持させることができるか。そのために今生きている世代の責任とは何か、という事です。」

 ひるがえって日本
・・・大飯原発の敷地内には活断層の疑いがある破砕帯が通っている、と指摘されるが、政府は、保安員の対策で『安全基準をべて満たしていることが確認された』と言う。
 「専門家づらした無責任な知識人は、最も倫理から遠い人々なんです。再稼動は福島以降の研究結果を全て無視した決断です。」

 「未来にツケを残さないと言いながら、原発から出る放射性物質のツケはどうするのか。命をリスクにさらす問題では、これkらもどんどん未来にツケ回しをする、これはもう政治じゃない
 
 「今考えるべきは『生存条件』だ。」
 「経団連が、エネルギーがなけれは産業が空洞化するとか、国際競争力が衰えるというのは『生産条件』に過ぎない。生産条件を上げれば生存条件も良くなる時代もあった。しかし、21世紀の今、両者は対立するようになった。環境問題を見ても労働問題を見ても、あそれは明らか」

 野田政権の本質を<経団連かいらい政権>と内橋さんは論じる。
 「これからの日本は、食料・エネルギー・福祉の自給を目指す地域社会を創るべき。」
 「この三つを地域経済の中で循環させている事で、十分生きていける。
 原発がなくてもやっていけることは、全原発が停止した5月以降証明されている。電力会社の利益確保と経済界の要求に従う事はない


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 経済を論じる立場の者でも、2種類の人間がいるのだなと思う。原子力の専門家でも同じ。
 その専門的知識(世界)の中で善を語りそれが現実的と思っている人と、その専門的知識は、人が宇宙の一部として現在も未来にも生きる事を前提としている事を常に忘れない人と。
 考えてみれば、日々隣り合う人々も二分される。
 でも、政治を動かす立場の者は明らかに後者でなくてはならないと思う。
 やっぱり、大事なのは感性と、想像力か。


 

徒然草 第235段 「主ある家には」

 第235段 

 主ある家には、すずろなる人、心のままに入り来ることなし。主なき所には道行き人濫(みだ)りに立ち入り、狐・梟やうの物も、人気に塞(せ)かれねば、所得顔に入り棲み、木霊などいふ、けしからぬ形も現るものなり。

 また鏡には色・形なき故に、よろずの影来たりて映る。鏡に色・形あらましかば、映らざらまし。

 虚空よく物を容る。我らが心に念々のほしきままに来たり浮かぶも、心というもののなきにやあらむ。心に主あらましかば、胸の内にそこばくのことは入り来たらざらまし。


 ・・・・主人のきちんといる家には、無関係な人間が勝手に押し入るような事はない。
 反対に、主人の居ない所には通りすがりの人間が勝手に入り込み、さらに、狐・梟のような霊性の強い動物も、人間が発する霊力に妨げられないから、わがもの顔に棲みつき、木霊(こだま)などという怪奇な精霊も出没するのだ。

 また、鏡そのものには、色も形もないからこそ、あらゆる影がやってきて映る。鏡に色・形があるならば、それが邪魔をして影が映ることはないだろう。

 からっぽの空間は、どんなものでも入る。
 私たちの心の中に、さまざまな思念が意思に反して勝手に入り込んで浮かぶのも、心には主がいないからだろうか。心に主人がいるのであれば、心の中にさまざまな雑念が侵入することはないだろうに。[角川ソフィア文庫より]


*****

 自分の考えを持っていることの大切さ、今特に思い知っている。
 「虚空」な市民の心に、簡単に入り込んだものは、人の命や幸せなど省みない政治家や、私利私欲のままに政治家をも操ろうとする経済界の人たちの、勝手な思惑による、勝手な理屈であった。
 弱い者を差別し、利用する。

 でも、もう、そうはさせない。

プラトン 『国家』 第6章

2500年前のギリシャも、現在のギリシャも、日本も、同じように政治は問題を抱えている。

第6章の内容は、まさに今の日本の政治そのものだ。
歴史は繰り返すというが、むしろ、ソクラテスはこの書物によって、2500年に渡って真実を訴え続けているのに、こうしていつの政治もどこの政治も変わらない事が不思議に思える。

国の指導者となるべきものの自然的素質として、ソクラテスは、
 『虚偽を憎み真実を愛する』 『度量が大きい』 『勇気がある』 そしてそのほか、『物分りが良い』 『記憶力が良い
などを挙げている。

今の日本の政治家は、最後の1つ2つ、いわゆるお勉強の〝能力"的なことのみクリア!というところか。(今、物分かりがいいとすらも思えないが)

***

2500年前のギリシャの政治も、〝ソフィスト=哲学者・教育者"と“自称”する者達により行われ、腐敗していた。

教育を受けてきた善き指導者であるべき“ソフィスト”たちの現実との矛盾を問うアデイマイトスに対し、ソクラテスは、
 『真の哲学者を役に立てようとしないものが悪い。』
 『支配者のほうから支配させてくれ、などと願うべきではない。』

という。

 『公の集会で、大騒ぎをしながら、賞賛あるいは非難をしあう、そんな中に居たのでは、個人的に受けた良い教育も、ひとたまりもなく飲み込まれ流れ去る。そして彼らと同じような人間になってしまう。』
・・・なるほど。日本の国会そのものではありませんか!
よい教育を受けて、理想を持って、政治家や官僚になった人たちも少なからず居るであろうに。

さらに、
 『この種の者は言葉で説得できない時に、事実において、強制力を加える。』
・・・<原発再稼動は最終的には政治が判断する>とか、<私の責任で動かす>などというやりかたは、これっぽっちも責任を取れるはずもないのだから、強制力でねじ伏せると何も変わらない。
・・・内部批判を勇気を持ってした古賀さんに対し、仙石さんは<将来はないものと思え!>と公の場で堂々と脅しもしたしね。恥ずかし。
自分の正当性を言葉できちんと説得してみなさい!

そして、
『何が“美”であり“醜”であるか、何が”善”であり”悪”であるか、何が”正”であり”不正”であるのかについて、真実は何も知りもせず、<必要やむを得ざるもの><正しい事柄><美しい事柄>と呼んでいるだけ。
<必要なもの><善いもの>とでは、その本性がどれほど異なっているかについては、自分でも見極めた事がないし、他人にも教え示すことができない。
教育者(ソフィスト)がこんなありさまだとしたら、まことに奇妙な教育者だ。』

・・・今の原発再稼動問題はまさにこれだ。<必要なもの>が<善いもの>というすり替えがあるから再稼動へと向かうのだ。経済発展・企業の利益・核燃料サイクルの既得権益・・のための再稼動。それが国民の豊かさ・幸せにつながるという理論。いえいえ、健康で平和でなければ、幸せなどありえません。
こういう根本的な“善いもの”を知ろうとしない指導者が判断するなんて恐ろしい。

そして結局、ソクラテスは
 『今のような国政の在り方と条件の中で、損なわれる事なく救われて正しく形成されるような品性があるとすれば、それは神の摂理によって救われたのだと言えば、間違いないだろう。』
・・・とまで言う。日本の政治に対する絶望に似ている。

 『(素質のある若者は)次のような現実も思い知らされる。・・・国の政治は健全な事を誰もしていないし、正義を守るために共に戦う同志もいない。野獣の只中に入り込んだ人間同様に不正に与する気もなければ、一人で抵抗するだけの力もなし。国や友のために役立つ前に、身を滅ぼすことになるだろう。』
 こうした事をよくよく考えてみた上で、彼は、静かに自分の仕事だけをしていくと言う途を選ぶだろう。他の人々の目に余る不法を見ながらも、もし何とかして、自分自身が不正と不敬行為に汚されないまま、この世を送ることが出来れば・・・それで満足』



ソクラテス自身は、<ダイモーンの合図>というソクラテスにだけ聞こえる天の声、予言、直感のようなものに従って、政治に携わらない。
小出裕章さんも政治に関わらない。「私は政治は嫌いです」ときっぱりと仰る。

しかし、ソクラテスは悲観的ではない。(小出さんも!)
『心底から学ぶ事を好む者は、真実性に向かって熱心に努力するように生まれついている。』

 『いったいだれにせよ、自分自身が悪意のない穏やかな者でありながら、怒ってもいない者に対して、怒ったり、悪意のない者に対して悪意を持ったりすると思うかね?』


好きだなあソクラテス。



どーしても原発を動かしたい?

どーしても原発を動かしたい?

官僚も原子力ムラの人たちも利権をにぎる政治家も、麻薬中毒のようにさせられた原発地元の人たちも、原発はこの地球に生きるものとしてどうしてもやってはならないものである事を、本当は知っている。

本当は正当化のしようのないことも知っている。

原発を動かすために、滑稽なほど無理矢理に、捏造し真実をゆがめ、電気が足りなくなると騙し、値上げするぞと脅し、福島・東北の現在を見て見ない振りをしている。

がんじがらめでずるずると原発再稼動へ動こうとする社会の、その流れを止める、或いは変えることができるのは、市民一人ひとりの力しかない。

市民ひとりひとりが、世界的な 『核』 『原子力』 という政治的な〝力"や、経済という化け物の 『被害者』であり『当事者』だからだ。

野田さんがいったい何の責任をどうやって取るというのか。
取れるはずのない責任を取るという。うそつき。

"力"や〝富"は被曝もしない。被曝し影響を受けるのは『命』なのだ。
秤にかけることはできない。
どんな理屈も通らない。命より大事なものはない。

原発推進派の方々、お勉強のできる人たちの集まりでしょうが。こんな理屈もわからないなんて。
教育の仕方が間違えていたのだ。

しかし、その人たちが私たちの生命の権利を巻き取り奪ってしまおうとする。

私たちは、よく考えて、大きな視点で、或いは逆に一つ一つのちいさな生命として、核・原子力の問題を考え、感じよう。
「これはやばい!」という本能のちいさな叫びを聞こう。

現実的でない?
村上春樹さんも言っていた。「非現実的な夢想家」というレッテルを貼られると。
どちらが現実なのか。
福島の人に聞けばいい。現実とはなんですかって。国の経済発展です、そのために放射能は我慢します、ふるさとも要りません、という人がいると思うか。

もう本当に理解を超えている。
賢いはずだし、賢く善良であるべき政治に係わる人たちが、なぜ邪悪な方向に皆してなだれ込むのか?
しかも命も地球も巻き込んで。

その渦から抜けるには勇気がいる。

原子力廃棄物はどうしようもない事
再処理の夢はかなわないし、その費用は莫大である事
核兵器が平和のバランスを保つどころか崩し子供たちのガンを生み出している事
・・・事実として、市民皆が知っているのに。

いまだ東北の人たちは苦しんでいる事も。現実としてそこにあるのに。

ほんとうにひどい。
市民の命より、その命を育む地球より、大切なものがある、といい続けている政治なんて。


小林圭二さんの話(元・京都大学原子炉実験所講師) 雑誌・通販生活から

  雑誌・通販生活の中の記事『脱原発の勉強シリーズ』から
  ≪増え続ける核のゴミ≫についての講義

小林圭二さん  
  ・・・尊敬する小出裕章さん達と 『熊取6人組』 といわれた反原発の研究者の一人。 
 
  小出さんと考え方は全く同じですが、原発の核のゴミのことに始まり、核兵器の事まで、分かりやすく端的にまとめてくださっているので、ここに一部を紹介します。
  今、福島原発の事故以来、皆が原発をやるべきではないことを知っているのに、無理矢理に、卑劣に脅してまでも、再稼動のほうへ進ませようという、国のその流れがよく分かります


*****

― 使用済み核燃料を処分せずに貯蔵しているのは、日本の原子力政策が高速増殖炉を中心に据えているからです。従来の軽水炉からでる使用済み核燃料は、将来高速増殖炉が実現した際の〝燃料"とされています。(略)

  高速増殖炉を中心とする「核燃料サイクル」は、再処理場で使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し、高速増殖炉で燃料として使いながらプルトニウムを増殖させるというもの。しかしこの計画はすでに破綻しています。六ヶ所村の再処理工場は本格運転の開始延期を繰り返し、高速増殖炉の原型炉「もんじゅ」もトラブル続きで、実用化する見込みすらありません。

  もんじゅの設計が始まったのは60年代後半。当初80年代に実用化される予定だったものが、05年の「原子力政策大網」では2050年頃の実用化を目指すとされています。これまでに投入された費用は1兆3000億円を超えています。維持管理費だけで年間200億円(1日あたり5500万円)が税金でまかなわれているのです。(略)

  アメリカ。イギリス、フランス、ドイツなど、高速増殖炉の開発は世界各国で進められてきましたが、危険性や経済的に成り立たない事、そして、高速増殖炉で生み出される純度の高いプルトニウムが核兵器に転用されやすく、核の拡散につながることを理由に、すべての国が撤退しました。 
 
  そんな中、なぜ日本だけが、高速増殖炉の開発をやめないのか。それは、建前だけでも継続しなければ、日本の原子力政策が崩壊してしまうからです。溜まり続ける使用済み核燃料は、高速増殖炉の開発が止まれば、ただの"核のゴミ"になってしまい、処分できないゴミを生む軽水炉の運転や、核兵器以外に使い道のないプルトニウムを取り出す再処理施設の稼動にブレーキがかかるでしょう。

  さらに言えば、日本の歴代政権は、いざというとき短期間で核兵器をつくれる潜在的な能力を密かに望んできました。近年公開された60年代の外務省文書は、高速増殖炉がその手段として位置づけられていたことを明かしています。今後も政権はこの選択肢を手放そうとはしないでしょう。

  利害の絡んだ関係者から廃止を言い出すことはありません。  
  各国でも、高速増殖炉開発の撤退は最終的に政治が決断を下しています。もんじゅは即時停止して、この国の原子力政策を根本から見直す必要があるのです。


*****

騙されないぞ、という意志を日本人が皆、持たなくては。



澄さんとの『石巻 楽しんでもらい隊』報告

  4月26日から28日まで、ヴォーカルの澄淳子さんの『石巻 楽しんでもらい隊』のメンバーとして、数箇所で慰問ライブをやってきました。スポニチ芸術文化大賞を受賞した澄さん、その賞金で前回、そして受賞記念コンサートで集まった石巻ツアーのためのカンパのおかげで今回、私も参加する事ができました。

  前回は、たくさん子どもたちが亡くなった大川小はちらりと見えただけだったけど、今回はそこに立ち、その周辺を見てきました。

  仮設住宅の集会所3箇所と、石巻商店街の被災した布団屋さんだった場所で演奏しました。石巻の町は、前回2月に行った時に半壊状態だった家屋の撤去が進み、更地がさらに増えていました。もともとシャッター商店街だったそうですが、ところどころに残って生活したり店を開いたりしているところがあっても、街としての機能はまだ成り立っていない、そのやるせなさたるや。
  
  一方すぐ近くに小高い丘があり、そこは地盤もよく地震や津波による大きな被害はなかったそうです。町の様子がすぐ「そこ」と「ここ」なのに、全然違うのです。
  その丘は桜の名所で、ちょうど満開でした。北上して年に2度、満開の桜を見ることは生まれて始めての体験です。その美しい桜の花を通して眼下に見えるのは、壊滅した石巻の海沿いの町。
  雨が降っていたこともあって、花見に訪れた人たちは、悲しみを胸に、ただただ静かに桜を愛でていました。

  たくさんの生徒たちと先生が亡くなった大川小は、校庭から続く裏山は高さ50mほどでしょうか、威圧感もなく子供達も冒険して遊べそうな小山で、反対側には悠然と静かに流れる北上川があり、静かで穏やかで、太陽の光が集まっているかのように暖かく、しかし、もう二度とそこで子供たちが学ぶ事はないであろう校舎は、言いようもなく悲しげでした。

  そこから程近い海沿いの集落は、シジミや牡蠣が取れたというほぼ汽水湖のような深い入り江沿いに、ゆったりと住宅が建てられていて、それはそれは美しいところでした。そこに住んでいた人は穏やかに暮らしていたのだろうと想像できます。
  しかし、所々に立派な家の骨組みだけが、地盤が下がり海抜より低くなったために、水の中に取り残されています。
  その地域は風景からも想像できるように、人々も明るい土地柄と聞きました。しかしそこからの方々の多い仮設で演奏した時、一番前で静かに聴いてくださっていたあるおばあちゃんが、「明るさも何も、みーんな津波に持ってかれちまったー」とつぶやかれたのは、応えました。
  一年たっても、悲しみと向き合うしかない、やるせなさに耐えるしかない。

  原発事故がなかったら、もっといろんなことが迅速に進んでいたはず。

  前に住んでいた町の今後のあり方、街ごとどこかに移住するのかどうか、費用の問題・・などなど、今も半端な状態で、進むにも決断のしようがなく、仮設住宅で希望をすり減らさないようにひっそりと我慢しながらの生活は、本当に苛酷です。

  どうしたらいいんだろう。
  途方に暮れる。  

  音楽が役にたつのだろうか。ほんの少しでも元気になってもらえるのだろうか。

  ・・・
  
  原発の再稼動に賛成の人が、半分もいるという、今日の新聞の世論調査では。
  原発がなかったら、もっと迅速な対応の仕方があったはず。
  もちろん、放射能のせいでふるさとを失くすこともなかった。

  
  少なくとも、原発はいくら安全基準をパスでしも、電気が足りなくて不便になっても、10万年以上毒性の消えない廃棄物を出し続け、無毒化することは、人間には不可能な事・・・それだけで、『原発は稼動してはいけない』ことの明らかな理由である事を、このブログで、ライブの場で、できるだけ伝えてゆきたい。
 

かわいいかめこその2

 溺愛中のかめこ。

 いわゆるドライフードの「亀のえさ」の合間に、「亀のおやつ」あるいは「亀のごほうび」などと売られている川えびの干したもの(純国産!無添加物!)を与えると、それしか食べなくなり、亀のえさをやっても、じーっと見て鼻を近づけ、ふーんと横を向き知らない振りをする。
 しかし、栄養が偏りはしないかと過保護の私は、えびに忍ばせ与える。カリッ、あれえ、と変な顔。何度もそれをすると、くんくんと用心深く鼻を使い、疑い始める。鼻をえびに近づけ約3秒。これはあれが入ってる匂いやー、と見破れば鼻をそむける。または、怒ったのか、あらぬ方向へ泳いでいってしまう。「人を馬鹿にするのもええかげんにせいよ」といったところか。

 過保護もまたさらに一歩進んで、今は無添加の煮干(人間用・無塩)をやる。えびよりうまいらしい。人間が食べてもうまいのだから、かめこも同じ。

「東大話法のトリック」安富歩さんの本

「何かがおかしい、原子力ムラの人たちの話法」 
  「原発危機と『東大話法』―傍観者の論理と欺瞞の言葉 /安富歩」明石書店
  ・・・2012年3月23日 毎日新聞・夕刊 「特集ワイド」より
 学識豊かで、丁寧で、語り口もスマート・・・なのに、何かがおかしい。「原子力ムラ」の人たちを取材してきて、そう感じてきた。そんなモヤモヤを晴らしてくれる人がいると聞き、会いに行った。【宍戸護】
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120323dde012040042000c.html

 この本は気になりつつもまだ読んでいなかったが、毎日新聞でこのように著者ご本人に取材してくださって、こうして一端を目にする事ができ、ありがたい。

 小出裕章さんと大橋東大教授とのプルサーマルに関する例の討論会の映像を見て、小出さんが正しい事は明白なのにもかかわらず、大橋教授のこの自信に満ちた物言いに、はらわたの煮えくり返る思いがする。
  議論に負けた事のないという小出さんが正攻法で攻めれば攻めるほど、その正しさを鼻の横から見下して笑う恐るべきふてぶてしさに、怒りを超えるも、私の貧しい語彙の中では、「この大橋という人間は邪悪なのだ」とつぶやくしかなかった。
 話は逸れるが、皆さんYouTubeを見ましたか?大橋・東大教授はその討論会で『プルトニウムは呑んでも大丈夫』と言い放ち、推進派で自分の周りを固め、一人奮闘する小出さんを孤立させ、正しい事を弱く見せる・・・そんな卑劣なやり口に、いったい、その会場にいた大勢の人は吐き気を催さなかったのだろうか、と私は思う。

斑目委員長のこの2・3日の、「ストレステストは一時検査では不十分」、或いは、「過去に保安員に危険性を指摘していた」という、自分は責任は果たしていると言いたげな突然の国との距離の置き方も、『何かがおかしい』と感覚的に思う。言葉は一見筋が通って見えるのだが、なにかキナクサい。

 安富さんは、「原発を推進させたのは、『世界』 であり 『わが国』」、という言い方、或いは 『客観的に見れば・・・』という常套句、それらは、権力を持った側と持たない側をごっちゃにして、自分の議論を公平に見せる手段だという。そしてそれらは、『そもそも原発自体、(その人たちにとって)ごはんを食べるための手段にすぎない』ことを明らかにしている。小出さんだったら「僕は福島の事故とは関係ないけれども」とは決して言わないだろう、と。

 故・高木仁三郎さんも「自分があるようで実はないのですから、事故があったときに本当に自分の責任を自覚することになかなかなっていかないのです。ですから、何回事故を起こしても本当に個人個人の責任にならない・・・」と著書『原発事故はなぜくりかえすのか」で批判されているそうだ。

  私たちひとりひとりが、その言葉に翻弄されないように意識を高く持たなくてはならない。大変だけど。
 
安富さんは言う。
 ・・・東大話法とはヘリクツの表現方法なんです。
 ・・・肩書きが立派というだけで信じてはいけない。それと、意外に思われるかもしれませんが、信頼に値する仕事をしてきた人たちは個性的な容貌を持ち、いい笑顔の人が多い。

そして記者の宍戸さんはこう結んでいる。
 ・・・まずは、権威の言葉を鵜呑みにする私たち自身の姿勢を改める事、身近な常識や感覚に照らしてみる事が第一歩なのかもしれない。


***

   安富さんの分析による≪東大話法の規則≫

1.自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
2.自分の立場の都合のいいように相手の話を解釈する。
3.都合の悪い事は無視し、都合のよい事だけを返事する。
4.都合のよい事がない場合には、関係ない話をしてお茶を濁す。
5.どんなにいいかげんでつじつまが合わないことでも、自信満々に話す。
6.自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。
7.その場で自分が立派な人だと思われることを言う。
8.自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。
9.「誤解を恐れずに言えば」と言って、うそをつく。
10.スケープゴートを侮辱する事で、読者・聴き手を恫喝し、迎合的な態度をとらせる。
11.相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す。
12.自分の議論を「公平だ」と無根拠に断言する。
13.自分の立場に沿って、都合の良い話を集める。
14.羊頭狗肉(見掛け倒しの事)
15.わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。
16.わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。
17.ああでもない、こうでもないと自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる。
18.ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落す。
19.全体のバランスを常に考えて発言せよ。
20.「もし○○○○であるとしたら、おわびします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける。



***

感覚的に嫌な感じ、キナ臭さなど、言葉に出来ないもどかしさを整然と言葉にしてくれると、手の届かない背中をちょうどよく掻いてもらっているようだ。


でたらめ いや 斑目原子力安全委員会・委員長の発言を受けて たねまきジャーナル水野アナと小出裕章さん

斑目原子力安全委員会・委員長の事故調査委員会での発言をテレビで見た?

その、冷静で全く動じない態度、自信に満ちた声、薄笑いにも見える表情、真意の見えないうつぼのような目・・・
正義を捨てた者の姿だ。

そこから発する言葉はあまりにも客観的だ。
自分が国民の安全を守るという専門的な組織のトップにありながら、まるで隣の委員会の批判をしているような口ぶりだ。
「そうなっていた」、「そうなっていなかった」などと、委員会が機能できなかった点について客観的に述べるのみで、なにも反省がない。
「今変えているところだ」、「これから変える」などと、自分が果たすべき役割ははっきりとあったに違いないのに、自分が「したか」「しなかったか」、という言い方を一切しない。

何かに学んだ自己弁護の論法なのだろうか。徹底している。
「私が」という主語で話を進めると責任を取るか逃れようとするかどちらかになってしまう。それを避けようとしている。なるほどね。狡い。


MBSラジオ『たねまきジャーナル』で(2/15放送)は、その斑目氏の発言の重要な矛盾点に、水野さんが小出裕章さんに解説を求める、という内容。

要点をここに書き起こす。

水野さん:<まだらめ>の「(住民の避難のために使われるシステムである)SPEEDIがうまく動いていたら避難できたのではないか、というのは誤解だ。」をどう受け取るか?

小出さん:わかりません。

水野さん:私もわからない。
      <まだらめ>の「SPEEDI」の解析には、1時間以上かかるので間にあわなかった」 は?

小出さん:これまで。事故があったときには、速やかに住民を避難させる、そう言って20何年間も、100億円を超えるお金を投入してきた。実際に、事故直後にSPEEDIは稼動していた。ただ、どれだけ放射能が出ているかという情報は、確かに入手できなかった。
しかし不完全な状態でも、どこに流れるか、どのへんが強そうかは、SPEEDIで判っていたから、避難に活用する事は出来たはず。
(SPEEDIを)活用できなかったのは、安全委員会が機能していなかったということ。<私、拍手!!!>

水野さん:<まだらめ>「予測計算に頼った避難計画が間違っていた。」国の方針が間違っていたという意?

小出さん:それならば、責任を明らかにして、刑務所に入れるべき。<私、またもや拍手!!!>

水野さん:<まだらめ>「(原発が)大変だということになったら、すぐに避難するルールにするべきだ。」予測計算していたら間にあわないということ?

小出さん:斑目さんは緊急時避難地域は、8~10kmですむとずーっと言い続けて来た訳で、それ以遠の人は避難もできないし、避難した先が猛烈に汚染がひどかった訳だから、どちらにしても救いがない。

水野さん:方向が重要ということ。
     <でたらめ>「(海方向への)安心していい風向きから(内陸向きへ)変わり、そして飯館で雨が降った。もう一回SPEEDI予測をシミュレーションで再現してみたら、どうやってSPEEDIのシステムで逃げろというんだ。それぐらいのものでしかない。」と。

小出さん:斑目さんが住民を逃がす事が出来ないと認めた訳だから、『原発は作るべきではない』、というべきだ。<私、大拍手!!!>


・・・斑目さんや、プルトニウムを呑んでも平気だといった大橋教授ほか原子力ムラの面々、あの人たちに愛を傾けた人や、あの人たちを支えた人、そして今もあの人の周りで、言葉を交わしたり、微笑む友が居る・・・という事が、どうしても想像できないのだけれど。


*****

『平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学』/M・スコット・ペックという本を読んだ。
なんだかとても、納得のいく内容だった。
少し紹介すると・・・

「平気でうそをつく人」というのは、自己嫌悪の欠如と自分自身に対する不快感の欠如から、他人をスケープゴートにし自分を守る。
良心が欠けているため心を煩わせたり、不安の対象となったりしない。ほとんど幸せそうに見える。
自分自身の邪悪性を意識する事から必死で逃げようとする。
道徳的清廉性という外見を維持しようと絶えず努める。
完全性という自己像を守る事に執心する。
自省に伴う特有の苦痛を避けるために、あらゆることをやってのける。
邪悪な者の持つナルシシズムは、共感の能力を欠いていると思うほど、徹底している。共感や他人を尊重する気持ちから来る抑制力を奪う。
自分達の世界に生きているので、孤独である。

・・・孤独か・・・

この著者は、こういった人たちを病気と位置づけ、救いたいという。(医者という立場として)

しかし普通の人がこういう人とであったときの嫌悪感は健全な反応で、そのときの最良の道は、それを避ける事。逃げろということ。混乱させられてしまうから。

遅ればせながら、いわき・シャンティハウス・トリオライブ報告、そして石巻・澄さんとのツアー報告

<2011年12月8日> 安ヵ川大樹(b)、橋本学(ds)
2年ぶりのシャンティハウス。

避難地域ではないが、空間放射線量が、今はだいぶ下がってそれでも横浜の10倍くらいという環境で、ジャズのライブを続けてくださっているシャンティハウスの山田さん。
こんな時だから音楽が必要だという信念を持っていらっしゃる。
演奏させてもらうミュージシャンとしては本当にありがたい。

いわきに入ると、道が渋滞している。ホテルも満室。街が込み合っている。
ホテルは労働の充実感で溢れ、生き生きしている。いわきから福島原発に通うのだそうだ。頼もしくありがたい。
地方都市・いわきの実直な感じが、労働者のごつごつしたイメージに変わっている。
人はたくさん居るけれど、生活感はあまりない。

小さい子どもは見かけなかった。成長期の子どもをもつ家庭では、家族が分かれて、或いは住み慣れたいわきを離れて、他の土地で暮らしている方が多いと聞く。
制服を着た高校生を時々見かけたが、ふっと目につく。生活観の薄れた雰囲気にすこし違和感があるからだろう。

海端は津波があり、なくなった方もたくさんいらっしゃる。しかし駅周辺は地震の影響はさほど見られない。2年前は駅の改修中だったため、今のほうがなんだか立派だ。

なんということだ。
もし、原発がなければ!

山田さんは変わらず、にこやかに迎えてくださった。懐かしい優しい顔。

3月の地震以来、私は未だに、気持ちのどこかの蓋が外れるとただただ涙が溢れてくる。

地震と津波で命を奪われた人、ふるさとを奪われた人たち・・
そこに土地があるのに、放射能汚染で大事な生業を諦めざるを得なかった人たち、避難せざるをえない子供達・・
同情や慰めなどは遥かに及ばない。
原子力に無知であった事、簡単に騙されてしまっていた事がとても悔しい。
その都会の住人の愚かさの代償を、福島やその周りの人たちに受けさせてしまっている。
未来のある世界中の子ども達の健康も害しつつある。
苦痛を訴える事もできない木々や動物、鳥たち、昆虫、魚の生態系を有無を言わさず変えてしまっている。

ライブで「For a New Day」を作った時の気持ちを説明した時、そんなことに思いが広がり蓋が外れて、演奏中も涙が止まらなくなってしまった。

「For a New Day」につけた歌詞は
  空を見ると、空は確かにそこに在る
  決して誰一人として その空を独裁者にもぎ取られるような事があってはならない

  空を広く見回すと、冷たく燃えているのが見える 
  決して誰も、この私たちの空をめちゃめちゃにするどんな理論も必要としてなんかいない。

音楽に何が出来るか・・・

人の心を真っすぐにし、正しいもの・美しいものを見分ける力となる音楽。
本当に音楽が必要なのは、被害を受け傷ついている東北の方々より、原子力ムラの人でなし・国民の事を顧みず自らの利益を追う恥知らずの官僚や議員達なのかも。
議事堂や霞ヶ関で、官僚・議員に強制的に聴かせる音楽会、できないだろうか。


*****

<2012年2月3日>澄淳子(vo)、熊谷宏(g)
車窓から見る東北の風景は本当に美しい。男体山・那須岳・磐梯山・蔵王と勇壮で美しい山々、広がる田園。
初めて訪れた石巻。仙台駅から車で向かう。
テレビでは波に飲まれる仙台空港や石巻の町は何度も見た。

石巻出身の辺見庸さんは、テレビは何も映していない、という。
 『瓦礫の中から言葉を』から/震災当初はカメラを向けたら嫌でも屍体を撮ってしまうほどといわれた現場なのに、テレビや新聞は丹念に死と屍体のリアリティを消しました。なぜそうする必要があるのかわたしにはわかりません。あのような報道ならば鴨長明の『方丈記』のほうが災厄というもののすさまじい実相をリアルに伝えていると言えるでしょう。 
 いずれにせよ、マスコミによる死の無化と数値化、屍体の隠蔽、死の意味の希釈が、事態の解釈をかえって難しくしました。死を考える手がかりがないものだから、おびただしい死者が数値では存在するはずなのに、、その感覚、肉感とそこからわいてくる生きた言葉がないために、悲しみと悼みが宙吊りになってしまったのです。

実際に、そこに住み、無事だった方々の話を聞くと、瓦礫に混じってたくさんの遺体が流れてきたそうだ。
辺見さんは人間が「部位」となっていたという表現をする。

また、略奪はそこここで行われていたという。
それらの本当の姿は、日本のテレビでは映像はもとより、言葉でさえも流されなかった。

確かに街が波に飲み込まれるのを見るだけで、今までに感じたことのない、恐怖を感じた。茫然自失となった。
しかし、現実はそんなものではなかったのだ。
きれいなところだけを、離れたところから見ていただけだ。

被害に遭った集落の集会場に向かう道から、たくさんの子どもたちと先生が亡くなった大川小が見えた。
その、美しい山と穏やかに流れる北上川に囲まれた、ひだまりのような暖かそうな場所に、体温を失った廃墟。静寂。脳裏に焼きついた。言葉はない。

ギターの熊谷さんは澄さんの学友。町田の住人だが、震災後石巻に滞在し、被災した人たちが入る事のできる"千人風呂”というお風呂をボラティア数人で運営している。本当に、素晴らしい。出来ることをやっている。頭が下がる。

その周りは、水で押しつぶされたシャッター、壁には背丈より高いところにある水のあと、泥まみれでぐしゃぐしゃになったままの中華料理店、傾いた大きな石碑、片付けられ更地となった場所が無表情にあちこちにある。その横には再開したお店。
その絶望と希望がない交ぜになっている町は、泣くのをこらえている。

チャップリンの作曲した「Smile」という曲の歌詞を思い出す。
心が傷ついて壊れそうでも、涙がこぼれそうになっても、悲しみの陰など微笑みで隠してしまえ、明日になったら、雲は去る、今こそ微笑む努力をするべき時だ、泣く事なんかない、微笑んでいればきっと、人生はまだ捨てたものじゃないと思う時がくるだろう・・・

音楽に何が出来るか・・・また、この考えが重くのしかかる。
人を微笑ませる事か・・・
 ・
 ・
小出さんのおっしゃる、
『ひとりひとりが自分のできることをすればいい。』
それを拠り所に。

内部被曝 広島長崎ではどうだったか 医師・肥田舜太郎さん「原爆ぶらぶら病」1/12毎日新聞

毎日新聞 1月12日(木) 特集ワイド 「被曝医師は今も闘う」 肥田舜太郎さん(95)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120112dde012040014000c.html

<要約>
 肥田さんは広島の爆心地から6kmで被曝。その日の内に爆心地まで往復し、その後、周辺で救援治療にあたった。やけどを追った人があまりに多く、注目されなかったが、原爆投下後に市内に入った人たちが、奇妙な死に方をした。
 肥田さん「内部被曝という言葉はまだありません。市に入って被曝したので『入市被曝』と呼びました。どういう理屈でなくなるのか、全然分かりませんでした。」
 原爆投下から約30年後、米国人研究者による『内部被曝』の論文に偶然出合い、米国の核実験で入市被曝と同じ症状を示す人々が多数存在することを示す内容に「目からうろこ」が落ちる思いがしたという。それらの論文を翻訳し、国内外で内部被曝の意見を訴え続けてきた。

 原爆の直接被爆を免れた人が数年後座っていられないほどのだるさを訴える『原爆ぶらぶら病』について。
 肥田さん「血も出ていない、頭の毛が抜けるっわけでもない、目に見える被害は何もないのに、死ぬほどだるいと訴える人がたくさん出てきた。診察してもどこも悪くない。サボっているようにみられて、患者の家族が『ぶらぶら病』と名付けたのです。」
 「簡単に言えば全身衰弱状態。本人の訴えしかなくて医学の範疇には入ってこないから、医師から見れば、病気じゃなくノイローゼ扱いになってしまう。」
 「最近旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の研究者に聞いたら、『放射能疲れ』という言葉があるというのです。原発事故で放射線にあたった人が、くたびれてかったるいという事から、その名がついたそうです。」

 「福島でこれと同じ症状がでても何ら不思議ではない。」

肥田さんは広島・長崎の原爆被爆者の内部被曝が本格研究されなかった背景について、こう考えている。
 「戦争中は人をころしても罪にならないが、戦争後も原爆の影響で、人がずっと死に続ける事を認めれば、非人道的兵器として原爆の存在そのものが危うくなる。各国が内部被曝を認めたがらない根本はそこにあると思うのです。」

 原爆ぶらぶら病も放射線との因果関係は認められていない。

 生涯被曝100ミリシーベルト未満ならば健康影響は不明、という研究結果にも疑問を持つ。自分が長年診てきた、生身の被爆者とあまりにもかけ離れているからだ。


*****

なんだか、また目からうろこが一枚剥がれ落ちたような気がする。
内部被曝を軽く扱い、因果関係を認めたがらないのは、それによる保障をなるべく小さくしたいというお金の問題や、責任のがれが主なものだと思っていた。

『放射能疲れ』
『非人道的兵器』 かー・・・。

核の存在を守ろうとする国々の、「自分はその被害に遭わないのだ」という、この楽観的な身勝手さはなんだ?!

日本は平和憲法を持っているのに、非人道的兵器の存在を許していいのか。
被爆国として、日本は、放射線の影響を明らかに世界に訴えなければならないのではないのか・・・。




 

ロシアの医学博士ステパノワ「内部被曝を減らす食事を」毎日新聞12月30日

12月30日毎日新聞 くらしナビ から。要約させていただきます。

*****

小児科医だったステバノワさんは現在、ウクライナ放射線・小児・先天・遺伝研究室室長。ウクライナで事故以来25年間子どもの健康調査を続ける。

福島市の講演会から

・福島氏と郡山市のそれぞれ一部は、ウクライナの放射性汚染度による『強制移住区域(年間被曝線量5msyv/h超)』にあたる。
・事故で被災した子どもは90万人。その内86年から09年までに甲状腺がんになった子どもは6049人。(事故前の発症者は10~20人)
・汚染された食品が最大の内部被曝源で、牛乳がその8割を占めた。今も汚染されていない乳製品の入手は困難な地域がある。

・「ガン以外の異変」もある。汚染地域に住むこどもは、消化器系の病気の子が増え、複数の慢性疾患にかかる事が多い。病が長く続き、再発する傾向がある。
・5msyv/h以上の強制移住地域では、汚染が少ない地域と比べ、呼吸器疾患、肝臓組織の筋腫化、血液系障害、免疫障害になる子が、2倍。

しかしガン以外の病気や障害は、事故との関連を含め研究が始まったばかり。

・毎年必ず子どもの健康診断をする事。早期発見が大事。ウクライナで甲状腺がんで死んだ子は早期発見できなかった2人だけ。

*****
《食品による内部被曝を減らす方法》
①よく洗う
②ゆでる
③肉や魚を塩水につける
・・・・野菜はまず洗い、5mm暑さに皮をむき、さらに洗い、ゆでる。(セシウムの30~50%減らせる。)
・・・・肉や野菜は2~3時間塩水に漬ける。この間数回塩水を変える。
・・・・桃や人参・りんご・ぶどうなど植物由来の抗酸化物質が入った食品には、放射性物質を排出させる働きがある。
・・・・体内での働きが似ている物を事前に摂る。
   ・セシウム⇒『カリウム』は干しぶどう・干しアンズなどで。
   ・ストロンチウム⇒『カルシウム』はチーズで摂る。(牛乳が汚染されていても製造過程で乳性に放射性物質が出て行くから)

*****
ベラルーシの「ベラルド放射能安全研究所」発行の『自分と子どもを放射能から守るには』(世界文化者刊)に
・放射性セシウムは水に溶けやすく油脂類とは結合しない。
・骨を煮出したスープは飲まない。

未来の世代は私たちに『あの時お前は何をしていた?』と聞くだろう・・・・/小出裕章さんインタヴュー

小出裕章非公式まとめにアップしてくださっている 12月14日 TOKYO FM「クロノス」のインタヴューより、一部ここに載せさせていただきます。

いつも変わらない、素直で正直な小出先生のお話。


☆☆☆

私が原子力を止めさせたいと思った時には、日本にはまだ3基しか原子炉がなかった。それから1つの原子炉も持たせないと思いましたけれども、私が戦っている相手はいかんせん巨大すぎるのです。日本の国、電力会社、その周りの土建屋さんが加わってそこで働く労働者・労働組合が旗を振って、さらにはマスコミが旗を振る・・・。私なんかがいくら抵抗しようとも、次々と敗北していって、今54基。ずっと負け続けている。
自分の力があまりにも小さくて情けなくて嫌になるという事は、何度も何度もありました。でもそんなことしょうがない訳ですから、自分の出来る事をやろうと思っただけです。

だって誰でもそうですけれども、自分の命って一回しか生きられない、時間を逆戻りできないわけだし、あっちの道を行ってみたいこっちの道を行ってみたいと思っても、出来ないのであって、一回の命を生きるしかないとすれば、自分がやりたいことをやるのが一番だと思いますので。その意味では迷った事は一度もないですね。

まだまだ苦しい現実ですね、私を支えているのは。あまりにも私から見るとひどすぎると思うけれども、それがある限りは、自分のやることはやるし、やりたいと思う。それだけです。

多分、時がたって、未来の世代は私たちに聞くと思いますよ。『あの時お前は何をしていた』と。聞くと思いますけれども。
私は確かに力がなさ過ぎて負け続けたし、今も国や電力会社の主張・宣伝ばっかりが皆さんに届いているわけで、私の声なんか、ほとんど無力だけれども、それでも私は、『自分の出来る事はやった』と言いたいんですね、その時に。今自分がどう生きているかという事が、問われてしまうわけだから、答えるしかない、と思います。


*****

そう。
プラトンも言っている。すぐれた人物が国の守護者になる。すぐれた人とは、人を幸せにする事が自分の幸せであると思える人。

未来の世代にそう聞かれたとき、恥じ入りたくなんかない。

守護者でなくとも、「自分の出来る事はやる」それが、1回しかない自分の命への対し方ではないだろうか。
他者の幸せのために働く事ができること、それが人間にとっての幸せなのではないだろか。「幸せ」をどう考えてみても、そこに戻って来ませんか?

プルトニウムはどこへ行く・・

12月2日のニュース

―イギリスが114トンのプルトニウムの一部を地下処分場に廃棄する事を決めたという。(保有量は核兵器1万発分)
使用済み核燃料の再処理施設も21年までに閉鎖するという。

1994年にはナトリウム冷却材もれなどのの事故が相次ぎ、高速増殖炉計画はすでに断念していた。
しかし使用済み核燃料は増え続けるため、再処理の必要があり、年3トンの割合で余剰プルトニウムが増え続けた。
そのため、MOX燃料を作り、利用・消費する予定だったが、MOX燃料工場の成果が上がらなかったため、結局プルトニウムは増え続けた。


日本はどうだ。
世界中がとっくに諦めている"高速増殖炉"である「もんじゅ」。
先日11月20日、事業仕分けで「抜本的に見直す」とされ、私はやったーと大喜びしましたが、実は、22億円の無駄が指摘されたに過ぎない。
―11月28日・毎日新聞の山田孝男さんのコラム「風知草」では、
・・・・『もんじゅ』は廃炉に向かっているように見えるが、実際は違う。44年延べ1兆円の国費を投じてなお、『もんじゅ』は動かない。動く気配もない。だからこそ、震災直後に研究開発中止の声が高まったが、今は「無駄を省いて開発を」という論者が巻き返している。
  原発から出る核のゴミを再処理してプルトニウムを取り出し、それを燃やすのが"高速増殖炉"だ。この循環(核燃料サイクル)が成立しない限り、ゴミは原発にたまり続ける。現に昨年9月時点で貯蔵プールの66%にあたる1万3530トンが蓄積している。
  夢の中に留まって現実から目をそらすという選択肢はない。
  夢から覚めて繁栄の後始末に立ち向かうしかない。(要約)
・・・・・

また同じ2日の新聞から
―2002年に、『東電(荒木浩会長・南直哉社長)経産省(広瀬勝貞事務次官)ら双方首脳が、青森六ヶ所村の使用済み核燃料再処理事業からの撤退の方向で合意していた』という事が判明した。
その3ヵ月後、東電トラブル隠しが発覚し引責辞任し、その後、実現しなかった。
しかし現在、荒木氏は取材を拒否、南氏と広瀬氏は「記憶にない」と話す。


11月30日
東電が福島原発の現状を発表した。それによると
―1号機は格納容器の底のコンクリートを溶かし、あと最後の砦である鋼鉄のその容器まで37cm。格納容器の上のほうで測った温度は40度。底の融け落ちたウランの上には水が満たされ冷やし続けているが、その燃料自体の熱は分からない。
・・・37cmっていったいどうやってその数字が出たのか不明。小出先生によるとその鋼鉄は1500度で融ける。溶けたウランの温度はもともと2700度。もしその鋼鉄が融ければ、放射能拡散を防ぐ手立てがなくなる。
 恐らく事態を軽く軽く見積もっての37cmだろう。

12月1日
文科省が学校給食の食材の放射線量について、「40ベクレル/kg」と示したが、測定機器選定の目安だった。
飲み物は200ベクレルとされている。(その根拠は年間5ミリシーベルトまで許すとしたもの)
子どもには大人の5分の1の「年間1ミリシーベルト」を上限としようとしたためかと、最初は判断された。
しかしそれでも、忘れてはならない!事故前の米は0.1~0.2ベクレル/kgだった。40ベクレルでさえ400倍。
しかし、なんと測定機器選定の目安であった。なんじゃ?!
 ・
 ・
 ・
いったい、今、何が、誰が、原子力を推進したがっているのだろう。

東電の幹部も政府もイギリス他の国の政治家も福島の人も福島以外の人も・・・ほとんどの人が、もう原発は失くさなくてはならない事を知っている。

「平和利用」のなれの果てが、ふるさとを奪い、人生をかけた仕事を奪い、海や山を汚し、子どもの遺伝子を傷つけることも、もう皆知っている。

抑止力というのは、アメリカ・中国・ロシアなど核爆弾をもつ国の勝手な言い分で、一度発射されれば、「抑止力」の存在ゆえ、核爆弾を持っていようとなかろうと世界は終わる事も、皆知っている。

皆が知っていることを、皆知っている。

社会が、惰性で動き、悪い事と知りながら止めることが困難、という事もあるのだろうが、今は力を感じる。
力ずくでどうしても進めようとするその意味はいったいどこにある?

保身、金、支配・・・ 
そんなにどうしても?何よりも大事か?  

子どもの命、たくさんの人々の人生、環境などより大事な物って、なに?
これらの事って、結局自分の命につながっているから、自分の命より大事な物、という事になる。
それって何?
・・・どうしても分からない。

詰まるところ・・・今、保身・金・名誉などに走る政治家・官僚・経済界のトップ達は、思考が停止しているとしか思えない。

真実を語る人、それを聴く人そして真実に気づく人、今までのやり方を反省し改めようとしている人、そしてとてつもない苦しみの中にいるたくさんの人たちや動物・自然環境・・そんな中で、真実に目を向けようとしない特殊な人たちの思考がレリーフのように浮かび上がる。
本人達は気が付かないのだろうか、異状である事に。

混乱を避けるためには真実を知り、伝えるしかない事くらい、誰でもわかることだ。
真実に目を向ける勇気のない者、自分のことしか考えられない者、他の人の気持ちに共感する感性を持っていない者は、当たり前だけど、人の前や上に立ってはいけない。
政治家や経済界の要人が、全国民の中で最も愚かな人の集まりだなんて、なんという恥だ。

ええかげんにしなさい!!!
 ・
 ・
 ・
だから、私たち市民は、政治なんてそんなものよ、なんてうそぶくのはやめて、勉強し抗議し続けなければ。
こんなに私たちは君たち政治家より本当の意味で賢いのだ、ということを、ひとりひとりが自負し誇りに思うようにならなければ。

そうなれば、絶対に国は変わる。

私が出来ること 2011・11に思う

反省し、新たに、正しい方向に進まなければならない事は、どうごまかしても明らかな事。

でも、どうしても、なんとしても、まだ、原子力を使おうと、必死だ。
その目的は、目先のかりそめの発展・利益・保身・権力保持にすぎない。たったそんな目的のために、子どもの命も地球もどうでもいいと言っているのと何も変わらない。
未だに福島原発はどうなっているかよくわかっていない。現に温度が上がったり水素の量が増えたり、キセノンが見つかったりしているのだ。
なのに、なんなんだ、この状態は?
主食である米は、今は500ベクレルまでOKって。皆知っているのだろうか。
たしかにすぐには死なない。だけど、事故前は1ベクレル以下だったのだ。

原発再開のために、だいの大人が、それも、知事だの電力会社の幹部だの、社会的にも影響力のある尊敬されるべき立場の人間が、やらせなんていう姑息な手段を使う?
原子炉を輸出する?

・・・ものが言えない。
体の芯の部分が脱力するような幻滅・・・

こんな時には、恥知らずでない、まっとうな、当たり前の、普通の考えのできる人のところに寄り添わなくては平常心を保てない。

幸いな事に、音楽を演奏していると、元気が少し甦る。でも日々の落胆にはその元気もすぐに押し潰されてしまう。

小出裕章さん(京都大学原子炉実験所)、中村 哲さん(アフガニスタンで灌漑事業を行っている医師)、ソクラテス、パウルクレー、が今私を支えてくれている。
真実は時代も国も年齢も職業も越えるのだ。

小出先生は、『ひとりひとりが、それぞれの個性でできることをやれば、必ず原発などすぐになくすことができる』、と仰る。

私が今出来ること・・
音楽で人の気持ちをまっすぐにして、こういった不正をおかしいと思う感性をくすぐる。
そして、教育の現場に働きかける事は、子を持った母だからできることであり、しなければならない事なのではないだろうか。

「これはおかしいのではないか」と言うことができる「学校」に、ひとりひとりの「生徒」に、それを受け入れる先生に、なってもらわなくては!

さもないと未来はない!

私たちは原子力から今、目をそらしてはいけない

3月11日大惨事に、驚き呆然とし、どうしていいか分からない状態から次第に、認めるにはどうしようもなく大きく重い事実なので考えない振りをしたり、前向きな「復興」(地震・津波被害の場所にはありえるが、放射能はどうやっても、気の遠くなるような長い年月をかけなければ消え去らない)という「言葉」に縋り、問題を摩り替えてはぐらかしたりごまかしたり、という、とてもじれったく腹立たしい社会の流れであった。
しかしもう、「どうしようもない事実」を隠し通すことができなくなり、どんどん満杯になった袋から押し出されるように、ひとつひとつ明らかになり、はぐらかすことも追いつかなくなった・・・そんな時期にさしかかっている。。

酔いが醒めたような・・・夢うつつの状態から目覚めたような。

酔いから醒めるのも、夢から覚めるのも、どちらも嫌だ。
嫌だけど、仕方がない。

責任は私たち大人全員にある。

パナマで行われた温暖化会議で、「日本が途上国に原発を輸出する事は継続する」と表明した。
『世界に放射能をばら撒いて各国に迷惑をかけているのに、その自覚がない』と批判されているそうだ。
おー、恥ずかしい。まだ政治家は目覚めない。

しかし、
原発がなくても電気が足りている事、
半年たっても未だ、震度4程度の地震は頻発している事、
玄海原発4号機が内部圧力があがり自動停止したように、いつでも機械は故障するものだということ、
原発建設のやらせは事実で、だまされお金を貰って原発建設をたとえ認めたとしても、今の本当の市民の意思は当たり前だが脱原発に向いている事、
小出さんだけでなく学者や文学者の中にも真実をきちんと公の場で言う人が増えてきたこと(東大の大橋はどこにいるのだろう)
古賀さんのように官僚の中にも骨のある人が居た(過去形!)こと
最早表れてきた、子ども達の甲状腺異常の事実
・・・・これらのことが、どうしようもない事実・真実として、積み重なってきた。

実際にここ横浜でも、身近に、毎日溜まり続ける大量の浄水場の放射能汚染された汚泥ですら処分のしようがないことも。

その汚泥のように私たちの罪が心の中に溜まっていく。

原発は安全だという理論、経済発展のために必要だという理論、停電したらどうするんだという脅し
・・・これらを、堂々と言える人は、もはや、「うそつき」でしかない。マスコミももうこれ以上、「うそをつけない」所まできたのだ。事実を伝えることが多くなった。
原子力の平和利用に、これっぽっちの正当性も含まれていない事に多くの人が気づき始めた。

ひとりひとりが考える。
ひとりがふたりに、ふたりが四人に。8人に16に32に64に128に256に512に1024に2048に4096に8192に16384に32768に65536に・・・・


巨大な力にも、太刀打ちできるかもしれない。

IAEAは原子力の「平和利用」の推進機関である事を忘れないでおこう

福島原発以降、よく目にする『IAEA』

脱原発を進めようとした菅さんが引きずり下ろされ、新政権は原発再開の方向のようで(私、くじけそうじゃー)、このところ又、頻繁に新聞で多く目にするようになった。

「原子力を監視する機関」、監視とは、危険であれば「排除」する・・・という権限も含んでいるのではないかと多くの人が認識していないだろうか・・・。
私も、このようなことになるまで、公正な裁判所のようなものだと思っていた。

しかし・・・そもそもの成り立ちは・・・
  1945年10万6000人の死者を出した広島と長崎に原爆を落とした。
  1953年アイゼンハワーが、国連で「核の平和利用」を演説。核の削減・廃絶と共に、平和利用を主張。
  1954年第五福竜丸の被曝し、実は核爆弾の研究を秘密裏に行っていた事がばれる。
  1957年アメリカが主導してIAEAを設立。東西冷戦の中、アメリカの同盟国へ核移転が積極的に行われた。

それで察しがつくと思うが、「核の平和利用」「核兵器の監視」が目的。

「平和利用」という一見甘い言葉に惑わされてはならない。

アメリカは日本に原発を売りたかった。
『核廃絶』は、はじめから、IAEAの念頭にはない。
『監視』とは、日本やドイツなど第2次世界大戦に負けた国が、核を保有しないか見張っているわけ。あくまで「核抑止力」はアメリカが主導権を握るものとしたいのだ。

もちろん『平和利用』するにあたって、色々調べ,数値を出しているのは確か。
しかし、危険度に対しては、肝心のところで翻す。

 ―たとえば、「安全基準の強化」という言葉は、今回のように地震などが及ぼす、日本にとって避けらず予測できない危険に対しての「安全強化」という意味で、実は全く意味がない。

自然の力に対して、絶対な安全など絶対にないからだ。
予想を超える事が起こるから事故になる。全てが予想できれば事故は起きない。
高速鉄道や飛行機に限らず、車・自転車も(経験済みだが)、「万が一」の事故と言うのはどんなに、点検しても、規則を守っても、起こる。

しかし、原発の被害を見よ!
何十年も戻れない地域、何年後かにガンになる子ども。海も山も汚れてしまう。

しかしIAEAの言う「強化された安全基準」をクリアする事で、仮想の『“絶対”安全』というお墨付きを与え、結局のところ、原発を再開させようとしているのだ。
「平和利用」という言葉は、とにかく『核を利用する』前提のもとに出てくる言葉だ。

そこのところを、きちっと押さえておかなければならない。

なにがどうしてもやってはいけないものはやってはいけない。

地球がまたいつ、どんなくしゃみをするかわからない。
飛行機が落ちるかもしれない。
テロリストに狙われるかもしれない。

放射能はどんなに微量でも確実に遺伝子を傷つける。
子どもたちは傷ついた遺伝子のコピーを、成長と共にどんどん体の中で作り出す。
原発を稼動すると廃棄物が必ず出る。
核廃棄物は、10万年管理しなければならない。
原発を止めても、電気は足りる。
原発は、人類にとって良いことなど何一つない。

核廃絶に向かうと宣言しノーベル平和賞に後押しされたはずのオバマ氏は、最近核実験を再開している。

ね、IAEAってこのような、止めるべきである、と結論づくような点には言及しないでしょ?

*****

できれば、私は、この場を、音楽に関することを、聴いてもらえるブログにしたい。
でも今、すこしでも、ここを訪れる人がいてくれるなら、皆で何とかしなくてはならない。
ひとりひとりが変わらなくてはならない。
どうしても、小さい事でも私が出来ることは、しなくてはならない。

「原発以外のエネルギーの先駆者になれ!」独元首相シュレーダーの話。9/13毎日新聞

「日本は原発以外のエネルギーの先駆者になれる!」ドイツ元首相シュレーダーの発言

これだけ、原発を止めるべき状況で、世論もそちらに傾いている中、どうしても、経済界とのもたれあいを払拭できない今の政治。なんとしても、原発を再開しなければ、と、もがいている感すらある。

時には、外国からの意見を聞いてみよう。

もともと原発推進派だったメルケルさんが、福島の事故を受けて、25万人にも及ぶ国民の脱原発のデモにも押されて、脱原発に方向をすんなり変えた。
それができたのも、この人の道筋があったからこそなのだろう。

 02年に「脱原発」を法制化したドイツの前首相・シュレーダーさんの話。
<9月13日の毎日新聞の記事より>『脱原発へ政治主導強調』
http://mainichi.jp/select/world/news/20110913k0000m030175000c.html

*****

 「日本は技術的に(原発と)違うエネルギー政策ができる状況だ」
・・・その理由は、日本特有の環境。世界トップ級の太陽光発電技術を持ち、ドイツよりも日照時間が長く、風力も極めて大きな潜在力がある。

・・・ドイツで脱原発を決めた際、
 「原発こそがビジネスモデルと信じていた電力業界の反発はすごかったが、業界幹部と納得するまで何度も議論した。」 と振り返り、政治主導の重要性を強調した。

・・・脱原発を選択した理由について
 「使用済み核燃料の最終処分場が決まらない」
 「86年のチェルノブイリ事故のような放射能汚染への懸念があった」
 「テロや飛行機事故のような非現実的に思えることも、可能性があれば絶対に排除してはならない」
 
 「このような状況を長期にわたり社会に強制できなかった
  
*****

これが政治家として本来の『正義』ではないだろうか。

涙がでてくる。




 
 

かわいいかめこ

息抜きに、飼っているかめの話をする。

名前は「かめこ」あるいは「こめか」あるいは「カシオペイア」。その時によって変わる。

かめなど、ほーっとしているだけで何がかわいいのだろうと思っていたが・・。

かめを飼う事になる発端は、横浜みなとみらいの臨港パークを散歩していた時だった。

ただの寒天の塊のような、命を感じないクラゲに混じって、時々、ふわふわと生きるクラゲを目にする。その日も、なんとなく、そんなクラゲがいないかなあ、水槽で飼ったら美しいだろうなと想像しながら、水面を見ていた。すると、なにやら忙しく動くものがいる。それがかめこ。体長5センチほど。

間違いなく私のほうを見て、小さい手足を懸命に動かし、地面に近づこうとしている。
完璧にバチッと目が合った。
「たすけてー」と言っている。
海がめの子供かー?
一緒にいた息子に「かめがいるよ」と呼ぶと、「飼う!」と言う。手を伸ばしとると、生き物に詳しい息子は「ミドリガメだ」と言う。縁日で売っているあれは、たしか淡水に住むかめ・・・。海に捨てられたか、川を下り海に出てしまったか・・。

海から救って手にとった以上、もう飼うしかない。

昆虫ケースでへろへろと泳ぎ、えさを食べる小さいかめは、かわいくなくはない。
しかしその程度だった。
秋になり水温が下がると動かなくなってくる。生きているのかしら?と時々気にしながら冬を越した。

春になり、お日さまが照る日は石によじ登り、甲羅干しをするようになった。時々、足をビョッビヨーンとのばし、とても気持ち良さそうにする。
どんどん食べ、めきめき大きくなる。

かめは臆病で、人影におびえて水面に身を隠す。かめこも初めはびくびくしていたが、だんだんと慣れて、なんと、手から直接えさを食べるようになる。

そうなると、かわいいんだなあ、これが。

大きくなったので、目の動きもよく見える。横に線が入った「なにかもんくある?」的な厳しく冷たい目。それがチーッと動き、こちらを見る。

お互い、認識している。
すると、信頼と、なんだか愛が生まれるのだ。

つづきはまた。

上杉隆さん「野田首相の所信表明演説を検証する」に同感。

上杉隆さんが野田首相の所信表明演説に関して書いている。
http://diamond.jp/articles/-/14032?page=1

全く同感。
ほんとに絶望的な気持ちになる。

一部を引用させていただく

まず野田首相・所信表明演説から
≪「福島に生まれて、福島で育って、福島で働く。福島で結婚して、福島で子どもを産んで、福島で子どもを育てる。福島で孫を見て、福島でひ孫を見て、福島で最期を過ごす。それが私の夢なのです。」
 これは、先月、福島で開催された全国高校総合文化祭で、福島の高校生たちが演じた創作劇の中の言葉です。悲しみや怒り、不安やいらだち、諦めや無力感といった感情を乗り越えて、明日に向かって一歩を踏み出す力強さがあふれています。こうした若い情熱の中に、被災地と福島の復興を確信できるのではないでしょうか。≫

 このくだりだけで、筆者はもう絶望的な気持ちになってしまった。結局、野田首相はわかっていないのだ。

 現時点において、人類は放射能とは戦えない、という現実を知り、その前提のもと、対応することが先決なのである

 原発事故に際して、若い高校生に〈悲しみや怒り、不安やいらだち、諦めや無力感といった感情を乗り越えて、明日に向かって一歩を踏み出〉させては断じていけないのだ。
 低線量とはいえ、新陳代謝の高い若者に放射能と戦わせるのはあまりに酷だ。

 ましてや「福島に生まれて、福島で育って、福島で働く。福島で結婚して、福島で子どもを産んで、福島で子どもを育てる。福島で孫を見て、福島でひ孫を見て、福島で最期を過ごす。それが私の夢なのです。」

 という夢を、国のトップ自身が承認してはならない。

 繰り返すが、放射能と戦って勝利を収めた人類はひとりもいないのだ。

 力強く同情するだけで事態が解決するほど、放射能事故は甘くないのである。


******

「復興にむけてがんばろう!」という趣旨の記事やニュースが、テレビや新聞を埋めている。

汚染された福島はどうするのだ。野山を除染する事は不可能だ。
除染しても膨大な量の汚染した土、どこにもっていけるというのだ。

福島原発は、現在の実態すらつかめていない。大きな爆発が起こる可能性すらまだ残っている。
稼動すれば必ず出る放射性廃棄物は、どうするのだ?
  ・
  ・
  ・
お願いだ。

せめて、たとえば、これを見たあなたから始まって、あるいは、上杉さんや、小出さん、石橋さん、辺見さんたちの言い分を聞いて、なるべくたくさんの私たち市民が、現実を知り、疑問を持たなければいけない。
政・財・官言いなりにのマスコミのみが判断の基準になってはならないのです!
注意注意!

もう、それしかない。

絶体絶命。

石橋克彦さん 『今こそ決別のとき』 毎日新聞9/6夕刊 読書日和より

『原発を終わらせる/岩波書店』―14人の専門家が提言する脱原発  執筆者:田中三彦、後藤政志、鎌田遵、上澤千尋、井野博満、今中哲二、吉岡斉、伊藤久雄、田窪雅文、飯田哲也、清水修二、諸富徹、山口幸夫の各氏

この本の紹介欄で、記者の佐藤由紀さんが石橋さんにインタヴューしている。

石橋克彦さん・・・神奈川県生まれ。神戸大名誉教授。 

<記事の要訳>

1997年以来、「原発震災 [地震による原発事故の放射能災害と震災が複合・増幅しあう]を警告してきた。

地球の表面積の0.3%足らずの日本とその近海で地球の全地震の約10%が発生する。
54基もの原子炉を抱えていてよいはずがない。

「日本は明らかに地震の活動期に入っている。今世紀半ばまでには、東北以外でも大きな地震が複数起こるでしょう。浜岡原発以外の原発は安全だとは決して言えないのです。」

絶対安全なものはない、と言う人もいるが、飛行機事故などと比べ原発事故は発生したときの影響がとてつもなく大きい。

「しかも、核廃棄物処理を含め原発技術は不完全なもの。絶対に事故を起こしてはならないものであれば、やめる選択をするべきでしょう

市民の多くが原発脱却を望めば方向は変えられる。

「まずは一人ひとりが主体的に学び、考える事が大切。メディアの責任も重い。」


*****

こうやって、正しく現実を見て、発言している研究者や芸術家がいる。
でも市民が、考えるのを拒否していると、本当に取り返しのつかないことになる。
いまこそ、決別のとき。
  ・
  ・
  ・

大江健三郎さん「さようなら原発アクション」

「経済合理性や生産性ばかりにとらわれない理念を掲げる勇気と見識を求める」

9月6日、「さようなら原発1000万人アクション」 http://sayonara-nukes.org/
が声明を発表した。

政府に、原発を止め、廃炉にし、再稼動しない事を求める。

*****

核のゴミの処理も出来ず、放射能の子供たちに与える影響がとても危惧される中、再稼動など言語道断!

市民の8割に、原発は止めるべきものという意識が浸透しているにもかかわらず、政治の動きとして、再稼動の方向にある。
どうしてもその流れを止めたい、と私のようないち音楽家の非力に歯軋りしている毎日だが、こうして、著名な文化人が結束して動きを起こす事は、素晴らしい。有名であることをこういうふうに利用していただきたい

多くの人々は、企業や政治に買収されたり圧力を受けていたりするメディア・マスコミの言うことを、自分で考えることに替え、信じさせられて来た。
「原発はクリーンエネルギー」などという、恐ろしい嘘は、テレビや新聞だけでなく、教育にまで入り込んでいた。
そして、信じられない事に、未だに、「原発は安い」、「二酸化炭素を出さないので温暖化阻止に貢献する」、「電気は原発がないと足りなくなる」、「必要悪だ」、などとまだ言っているメディアもあり、それを未だに信じている人がたくさんいることが、とても恐ろしい。

それらを払拭できるのは、やはりメディアを使うしかないのではないかと思う。
もちろん個人個人それぞれが考え判断する事が、一番だが。
皆、自分で考える力を奪われてきた。(もちろん、いつでも、考える人は考えていたけれど)
すぐに、考えろといっても、体が脳が拒否している人も、ものすごく多いと思う。
しかし、そういう人もテレビは見ている。

ノーベル文学賞の大江健三郎さん、カタルーニャ文学賞の村上春樹さんら、メディアに出る事も多い人たちが、小出裕章さんや石橋克彦さんらの、優秀な研究者たちと手を組んで、真実をメディアを通して訴えて行く、その必要性を感じる。

そして、メディアを見て聞いて読む私たちも、声を上げて「嘘」に抵抗していかなければ。
真実を伝えない局や新聞は見ない。
嘘を見つけたときにはきちんと抗議し、そして、真実を報道した局や新聞を励ましていこう。

19日に明治公園で5万人の集会を開くそうだ。1:30より。
そのあとパレード。

私はその日の夜、BarBarBarでライブ!

******

<追記> 9月20日
昨日明治公園で行われた集会には 6万人集まったそうです。
とどけ!

それと・・
大江さんの9月19日毎日新聞「核心」の記事に、
「イタリアの原子力計画を再開しないことを9割が求めた国民投票に女性の力が大きいのをほのめかす用語法で、『集団ヒステリー状態』だと日本の自民党幹事長が侮辱したとき、
 ―むしろ生産性、経済力尊重のマス・ヒステリックに、この国の男たちは動かされているだろう、と言い返したイタリア女性の映画関係者がいます。どの国においてであれ、女たちは生命というものの上位にどんな価値も置かないからだ。

―女たちは生命というものの上位にどんな価値も置かない。

とても納得する言葉。
もちろん、こう書く大江さんも、小出先生や辺見さんなども、男であるが、もちろん『生命の上にどんな価値も置いていない』。
そして、北海道の高橋知事のように、生命より上位に『自分の利益』を置く、非情な女もいる。

徒然草 第59段 大事を思ひ立たむ人

好きなんですわ。この章。


第五十九段 「大事を思ひ立たむ人」

大事を思ひ立たむ人は、さり難く心にかからむことの、本意を遂げずしてさながら捨つべきなり。
「しばし、この事果てて」、
「同じくはかのこと沙汰し置きて」、
「しかしかのこと、人の嘲りやあらむ、行く末難なくしたためまうけて」、
「年ごろのあればこそあれ、そのこと待たむ、ほどあらじ。もの騒がしからぬやうに」
など思はむには、えさらぬことのみいとど重なりて、ことの尽くる限りもなく、思ひ立つ日もあるべからず。
おほやう人見るに、少し心ある際は、みなこのあらましにてぞ一期は過ぐめる。


角川ソフィア文庫から、上の部分の現代語訳は・・・

道を求め、一大事を決意している人間は、放っておけず、心にかかることがあっても、その解決を望まずに、そっくりそのまま捨ててしまうべきだ。
「もうしばらく、これが終わってから」とか
「同じことならあれを片付けてから」とか
「このことは人に笑われるかもしれない、将来非難されないように、きちんと整理しておいて」とか
「長年こうして来たのだから、片付くのを待ったとしても、大して時間はかからないだろう。そうせっかちになることはない」
などと考えていたら、ほったらかしにできないような用事ばかりが積み重なってくる。
しかも、用事が消えてなくなるはずもなく、ついには、一大事を決行する日も失われてしまうのだ。
だいたい、世間の人々を観察すると、少々しっかりした態度の人物は皆、こうした計画倒れで、人生を終えてしまうようだ。



おー。
わかるわかる。

計画倒れで人生を終えるほど悔しいものはないではないか。

大事と思うことは、やっていこう。どんどんやってみよう。

結論を予測して、怖気づく必要はあまりない。

人間万事塞翁が馬。

目指すところが実現不可能なほど高く遠くとも、踏み出す事で何かが変わる。
推進力が生まれる。
周りの状況、出会う人が変わる。

9/2毎日新聞夕刊 特集ワイド 辺見庸さんの話

毎日新聞9月2日夕刊の特集ワイドから

「記者として、海外の戦場に立ったし、阪神大震災も取材した、でも、今の空気が一番不快だ。テレビ、新聞、そしてそれらに影響された社会。飛び交う言葉が、ほとんどリアリティを失っている。

―と石巻市生まれの辺見氏は言う。
まさしく、村上春樹さんもカタルーニャの演説で言っていたが、今大事なほんとの『現実』とはいったい何か?


「復興に向けて被災地は一丸になっている、被災者は前向きにがんばっている・・そんな美談まがいの情報があまりにも多い。古里に電話をして聞くと、全然違う。現実はメディアが描くより、はるかに悲惨だし、一般の人たちの方が絶望している。」

―もし、原発事故がなかったら、もっと迅速に復興の道筋が立っただろうし、気持ちも前向きになれただろう。全く違ったはずだ。

―そして、「原発」或いは「核」については・・・

「誰もが『3・11』を分かったように思っているが、世界史における位置づけや、『3・11』が暴いたものの深さ、大きさは、とらえきれていないのではないか。」

「近代科学の頂点をなすのが核技術。これは核兵器と原子力潜水艦に源流がある。しかしその後は新聞も含めて『平和利用もあり得る』という論調になってしまった。
ところが今回の福島第一原発事故で、軍事利用と平和利用という二元論で考え得る代物なのか、危うくなってしまったのです。
もし核兵器と原発という二つの分野の次元が違わないのならば、非核三原則(核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず)の対象に原発を加えてもいいのじゃないか。」


―とてもフェアで、シンプルで、分かりやすい。
「もの食う人々」で引き込まれた、分析的でありながら情緒的な言葉だ。冷静でありながら人間味があると言ってもいい。
純粋さを感じる。
純粋なだけに、真っすぐに言葉が突き刺さってくる。そして重い。


「前進に前進を続け、その果ての今、僕らは崖っぷちに立っている。
近現代の流れには、ある種の『慣性の法則』が働いているので、恐らくもう飛び降りつつあるのでしょう。
―今後も「過剰発展社会」を維持したまま、またも、ありえない事件が起こるのでしょう。」


―原子力は人間には制御できず、放射能がどんなに恐ろしいかは、今現在目の前で進行中だ。いやその前に、2つの原爆・第五福竜丸被曝・チェルノブイリ・スリーマイル・東海村臨界事故など、過去にたくさん目の当たりにしてきたはずだ。
福島では、10万人もの人が、育ってきた大事な土地を追われている。そのやるせない悲しみ、絶望は想像を超えるだろう。
また一方、核廃棄物は、モンゴルに埋めようかなどと、全くふざけた計画が真面目に持ち上がるくらい、実際に深刻を極めている。原発を動かし続ける限り、廃棄物も増え続ける。
至極、当たり前なこと。

なのに、原発を再稼動する!?

電気は足りているし、その前に節電することは温暖化にとっても必須なのだからやればいいのだ。

原発を推めて、私腹を肥やしてきた人たち、もし!恥を知るなら、方向を転換する勇気を持て!
この期に及んで、「電気がなくなったらどうするんだ」 「電力不足は経済発展を妨げる」 と市民を脅し、自分達の利益のみを守るなんて、あまりにも恥ずかしい。
なんという愚かな視点の近さ!
汚れた魂・・・


「我々自身の内面が決壊しつつある。・・・内面をどう再構築すればいいか、どのような内面を拠り所に生きればいいか。そのことを考えなければならないし、それを書こうと思います。」

―と辺見さんはその記事を結んでいます。

ソクラテスが「音楽と文芸による教育が重要」と言う、そのことと思う。
わたし達の「内面」を構築するもの、骨組みとなるものとは、感じる心―感性ではないか、とわたしは思う。
知識だけでは、ばらばらな単なる「要素」でそれを、関連付け意味のあるものにするのは、弾力的な感性。
その感性を培うのが音楽や文芸。
そうして、弾力的な感性により関連付けられ意味を持った知識が「思考」する力となっていくのではないのかな・・・・と、わたしは思う。

子どものうちに、まだ道理がよく分からなくても、それを身につけさせる大切さを、2400年も前にソクラテスは明言している。


ソクラテスの話 『国家』プラトン著

これはすごいと思うことがあるので、ちょっと、ここに書く。

辻説法はしても文字に残さなかったソクラテスが、どう語ったか、という事をプラトンは書き残している。
後半はソクラテスにプラトン自身の考えをしゃべらせている、ともいわれている。
まあいずれにしても、2400年も前の文章!
2400年も受け継がれて来たとは。
真の傑作は消え去らないのだ。
400年のバッハも、恐らく2000年後も「素晴らしい!」と称える人がたくさんいるのだろう。
(・・消え去らない放射能の害毒によって人類が滅亡していなければ。)

2400年・・・・。ひゅーっと視点が遠くなるのを感じる。

今、『国家』(岩浪書店 藤沢令夫訳)を読んでいる。(まだ上巻の途中。)

恥知らず!と叫びたくなるような人間が渦巻く今の日本の国家。
2500年前に哲人達が語った言葉を知りたいと思わない?
  ・ 
  ・
「正義」について、語られていくが、第三巻に『音楽の事』について語られるところがある。


ソクラテス「音楽・文芸に由る教育は(若者に)、決定的に重要なのではないか。なぜならば、リズムと調べというものは、何にもまして魂の内奥へと深くしみこんでいき、何にもまして力づよく魂をつかむものなのであって、人が正しく育てられる場合には、気品ある優美さをもたらしてその人を気品ある人間に形作り、そうでない場合には反対の人間にするのだから。
 そしてまた、そこでしかるべき正しい教育を与えられたものは、欠陥のある、美しく作られていないものや自然において美しく生じていないものを最も鋭敏に感知して、かくてそれを正当に嫌悪しつつ、美しいものをこそ賞め讃え、それを喜びそれを魂の中へ迎え入れながら、それら美しいものから糧を得て育まれ、みずから美しくすぐれた人となるだろうし、他方、醜いものは正当にこれを非難し、憎むだろうから―まだ若くて、なぜそうなのかという理(ことわり)を把握する事ができないうちからね。やがてしかし、理が彼にやって来たときには、このように育てられたものは誰にもまして、その理と親近な間柄となっているためにすぐ選別できるから、最もそれを歓び迎えることになるであろう。」
  ・
  ・
このように、藤沢令夫さんの訳が現代的で読みやすい、ということもあるが、プラトンやソクラテスがこうしてアテネで話し合っていたかと思うと、人間は時間を越えて同じ事を感じ考え続けているのが、なんともおもしろい。

そして、うれしいのは、今、学校教育では授業時間が少なくなり、世の中不景気になったら一番に削られる『音楽』が、『人間形成に関わる教育の大事なひとつ』、である事だ。
「音楽は人の気持ち・精神・魂を真っすぐにする」と日ごろ感じてきたが、こうして、ソクラテスは2400年前に大事であることを明言している。

また、たくさんの政治家や官僚に読んでほしい部分ももちろんある。「国家」だからね。

ソクラテス「自分が用いる正義を他の人々から借り入れざるをえず、そういう他人をみずから主人・判定者となし、自分自身のうちには訴えるべき正義を何ももたないという状態が、恥ずべき事であり、無教育の大きな証拠だとは思えないかね」

政治資金規正法なんてものを作らなくてはいけなくて、作っても又それをすり抜けて秘書のせいにしたりする・・・・恥。

ソクラテス「すぐれた魂を持つ人は、すぐれた人なのだから。これに対して、あの腕の立つ猜疑心のつよい人、自分自身が多くの不正をはたらいてきて、何でもやってのける賢い人間のつもりでいる人は、たしかに自分と似た者たちを相手にするときは、自分の内にある範型に照らして抜け目なく警戒するので、有能に見えるだろう。ところが、ひとたび善良で自分より年長の人たちと接触するときが来ると、見当違いの疑いをかけ、健全な品性というものがわからないので、今度は逆に愚か者に見える事になる。」

おみごと!

ソクラテス「若者たちは、節度を生みつけるとわれわれが言ったあの単純な種類の音楽・文芸を自分の教養として身につけるならば、司法による裁きを必要とする事態におちいいることのないよう、みずから戒めるような人間になる事は明らかだ。」

「どのような人々が支配者(守護者)となるべきか・・・
 われわれが観察してみて、全生涯にわたり、国家の利益と考えることは全力を挙げてこれを行う熱意を示し、そうでないことは金輪際しようとしない気持ちがみてとれるようなものたちを、選ばなければならない。」

「教育を受け、思慮ある人ならきっと、次のことを主張するだろう。
 まず第一に、彼らのうちの誰も、私有財産というものをいっさい所有してはならないこと。
 つぎに、入りたいと思うものが誰でも入って行けないような住居や宝蔵は、いっさい持ってはいけないこと。
 暮らしの糧は、節度ある勇敢な戦士が必要とするだけの分量を取り決めておいて、他の国民から守護の任務への報酬として、ちょうど、一年間の暮らしに過不足のない分だけを受け取るべきこと。

 金や銀については、彼らはその魂の中に、神々から与えられた神的な金銀をつねにもっているのだから、このうえ人間世界のそれを何ら必要としない。
 数多くの譜敬虔な罪が、多くの人々の間に流通している貨幣をめぐってなされてきたのであり、これに対し彼らがもっている金銀は、純粋で汚れなきものだからである。いや、国民のうちでただ彼らだけは、金銀を取り扱う事を許されない。
 このようにしてこそ彼らは、彼ら自身も救われるだろうし、国を救うこともできるであろう。
 けれども彼らがみずから私有の土地や、家屋や、貨幣を所有するようになるときは、彼らは国の守護者である事をやめて、他の国民達の敵としての主人となり、かくて憎み憎まれ。いつわり謀り謀られながら、全生涯を送ることになるであろう―外からの敵よりもずっと多くの国内の敵を、ずっと強く恐れながら。そうなったとき、彼ら自身も他の国民も、すでに滅びの寸前までひた走っているのだ。」


おー!今の世界の情況そのものだ!
ここで第3巻はおわる。
4巻のはじめで、「それでは守護者が、土地を所有したり、邸宅を建てたり、客人をもてなしたり・・・といういわゆる”幸福”をさっぱり享受できないではないか」というアディマントスの反駁から始まる。

おもしろ。
また、続きをかく。

北海道泊原発が運転再開した。道知事の高橋さんにとって、何が、いったい大事なんだろう。

北海道の高橋知事は経産省の出身で、自民党の推進を受けて当選したそうだ。

多額の原発交付金により、町は確かに裕福になった。

しかし・・

世界的には、チェルノブイリに加え、福島の事故を見て、「原発を止める」事を決めた国(ドイツ・スイス・イタリア)があるというのに。
今、実際に「収束」どころか、まだ、福島原発の敷地内に10シーベルトの場所が見つかったりして、よくわかっていないことだらけなのに。

運転再開するって。

高橋さんにとって、なにが、いったい大事なのだろう。

地位?
お金?
たくさんの市民の命より、子ども達がガンになる可能性より、自分の命なのだろうか?
高橋さんには親や子ども、兄弟姉妹などはいるのだろうか?

あまりにも非情だ。

このブログについて

私の活動の広報とその報告を軸に、このブログを公開しています。

私は一人の音楽家で、親で、人間です。
音楽を通して感じた事、或いは、音楽を取り巻くものに対する考えを、ここに、熟考した上で公開し、何かしら、ここを訪れてくれる方に、私の考えとして知ってほしいと思うことも、記しています。

もちろん世の中には、色んな考えの人がいることは知っています。
しかし、ここを議論の場にするつもりはありません。

私はどこの政党にもどこの宗教にも属しません。

ただ、人が、子供たちが、幸せに生きるために音楽が役に立つことが望みです。

もし、このブログから何か考えや意見を想起してくださったならば、その考えが生かされるように、動いて下さることを望みます。

残念ながら、私には大きな力はありません。全く情けないほど非力です。

コメントについて
以下に該当すると私が判断したコメントは承認せず、表示されません。
(1)特定の個人や団体に対する誹謗中傷
(2)ブログの趣旨に合致しないもの
・・小出裕章非公式ブログにならって

毎日新聞8/11夕刊文化欄 加藤典洋さんのコラム「疑問だらけの菅降ろし」に同感!

8月11日毎日新聞夕刊文化欄 加藤典洋=文芸評論家
『疑問だらけの菅降ろし』ー反対派の「凸」がみえない

<要約>このところの菅直人首相をめぐる政官財のやりとり、政局と、それにまつわるメディアの報道にはあきれる。
・・・現今の菅政局の問題点は、逆に、反対派の退陣要求から何を「やりたい」のかが見えてこない点である。
 政治家も、官僚も、新聞人も、いま政治はなにを「やるべきか」にふれないまま、首相の人品、居座りをめぐる事情通的なウラ話に終始する。だが我々は、いま未曾有の困難にある。政治の話をしようではないか。
 現今、最大の政治課題が原発問題、、再生エネルギー法案、発送電分離にあることは、はっきりしている。電力をどうするか、この夏をどう乗り切るか、など「凹みを埋める」課題は、政治ではなく、経済の問題である。
 政治とは何か。
 ハンナ・アレントによれば経済が凹みを埋めるのに対し、政治とは「新しい価値(凸)を創出する」活動を指す。
 菅首相は、「やりたいこと」=新しい凸として、脱原発、再生エネルギー法案の上程、発送電分離への意欲を
明らかにした。しかし、これに誰一人、自らの対抗価値(凸)を明示することなく、人格等の問題にことよせて首相の
凸を取り下げさせようとしている。これが菅降ろし政局の本質であろう。
 なぜ、反対派は、彼らの価値(凸)を対置しないのであろうか。このことは、彼らが要するに、自らの提案(凸)としては現状維持(=原発推進)以外にないことを語っている。表立って反対すれば自らの価値(=原発推進)が明らかになる。すると国民の信を失う。そのため「人心」・手続き等の問題をもちだし、電力問題で国民を脅かし、首相の政治的主張を葬り去ろうとしているのである。こういう構造が明白なとき、この構造を指摘する変わりに首相の「こころのなさ」手法陋劣をあげつらうのは、ジャーナリズムの自殺であろう。
 ・・・・国民の代表である首相の政治努力を空洞化させようとしているさまは、戦前の軍部のあり方と瓜二つに見える。

*****

同じように感じ、考えていた。

ここまで、原発から脱さなければいけない、という事が周知の事と成っているのに、その方向へと動いていかない。たとえ、プライドを捨てたジャーナリズムが「原発は必要悪」と書き連ねようと、テレビで誰が「大丈夫」と発言しようと、「電気がなくなっていいんですか」と脅されようと、私たちは自分の意見として、考え、惑わされないようにしなくてはならない。

子どもたちの命、健康な地球なしでは、経済発展もクソもないことは、明白だ。 

昨日の夜NHKのNHKスペシャル、「日本人はなぜ戦争へとむかったか」でもやっていたが、皆が「戦争をしても負ける」ことはわかっていた。だが誰も言い出せない、誰かがやめようといってくれないだろうか、と言っているうちに、開戦。あーあ、始まってしまった、とそのときの政治家の皆が思ったという。

いま、原発が破局的な事故になる事はもう自明な事で、地震が起こる事も100%と言っていい。

止めたい。
脱したい。
出来るだけ早く原発を減らしたい。
自然エネルギーをどんどん進めたい。
いくら経済発展といっても、原発大事故の損害の問題を逃れる事はできない。

きっと、政治家も電力会社の人間も、原子力を推進してきた人たちも、心の底ではそう思っているに違いないと思う。

なら、みんなして勇気を持って、進まなければ。
節電などなんのその。

でないと第2次世界大戦のように、なってしまう。

私たち一人ひとりが、それを考えなければ・・どうしても



☆トリオの2ndCD「Inner Voices」8月10日リリース!なんと現在HMVランキング1位!

前作「For A New Day」に引き続き、D-Muisicaからリリースしました。

D-musicaのホームページ 
http://www.d-musica.co.jp/index.html

なんと、現在HMVの国内ジャズ総合週間ランキングで1位!!


メンバーは1stと同じ、安ヵ川大樹;Bass、橋本学;dsという素晴らしいメンバー。
カルテットで演奏してきた曲もトリオでやっています。

ライナーはDiskUnionの山本隆氏が書いてくださっています。一枚目の「A Song For Someone」からお世話になっているので、よーくご存知なのだ。

ジャケットは北川正氏。黒板消しのようなかわいい船の写真です。インナーにはその船がイラストになっていて、とてもかわいい。色も大好きなみずいろで、涼しげです。

子どもの髪の毛を、採っておこう

琉球大学の矢ヶ崎先生が、8月1日のMBSラジオ「たねまきジャーナル」でこう仰っています。

『ガンや白血病が発病したとき、それが何に起因するか特定する事は、容易ではない。
しかし、毛髪は放射性物質を取り込むので、今、子どもの毛根に近い部分を含む毛髪をとっておく事で、将来、もしも、子どもがガンや白血病になったとき、福島原発に由るガンであると認定され賠償されなくとも、裁判で毛髪を証拠に戦う事ができる。』

とのこと。

これが現実です。

なんということでしょう。

忘れてはならない。福島原発の事故は今も進行中。

<NHK 東電福島第一原発ニュース>より、7月29日のニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/top/index.html
・・・・福島第一原発の1号機から3号機からは、現在も1時間当たり最大でおよそ10億ベクレルの放射性物質が放出されているとみられていますが、敷地内の空気の測定から推測されたもので、正確には分かっていません・・・

―10億ベクレル/毎時!・・・ですぞ。

・・・・このため東京電力は、放出されている放射性物質の種類や量を把握しようと、格納容器の中の空気を抜き出して調べることになりました。・・・・

<排気塔下部の配管の表面付近で10シーベルト(10,000ミリシーベルト)/毎時を計測>8月2日の朝刊
・・・・1号基と2号基の間の屋外での計測。・・・3シーベルトで50%が死亡する。・・・

―10シーベルト!!! 計測器の限界だそうだ。という事はそれ以上かも。
 小出先生は、「使用済み核燃料そのものが、そこにごろんとあるのではないか。考えられないほど高い数値。とても近づけない。(それを計った作業員の被曝が4ミリシーベルト、という発表については)1秒か2秒でその値に達する。」
 琉球大の矢ヶ崎克馬先生は、「建屋の外に高い汚染があるという事は、常時汚染が被って残っているか、なにか新しい噴出がそこにあるか、ではないか。」
―そうなると、3・11日以降、水素爆発で高い放射線が放出された時と、同じくらいの大気中への放出が懸念されるとのこと。かなりおそろしい。
 また、「内部被曝は外部被曝の600倍の影響がある。」ことも

       *
       *
       *

とんでもない事が今なお起こっているのだ。
危機は去ってなどいない。

今、原発から脱しようと思うのは、全く当たり前の事じゃないの?

菅さんが今まで誰も言えなかった「脱原発」を言った事を、中曽根さん以来推進して甘い汁を吸ってきた自民党も、電力会社も、党首のやり方に不満のある民主党員も、マスコミも、それから、国民一人ひとり・東北の人も東北以外に住む人も、歓迎し、協力して、原発から脱却する時ではないのだろうか。

今の政府が、この原発事故に対して完璧じゃないのは当たり前のことじゃない!?
その前の、自民党政権が、悲劇的な原発事故を起こしうる天災も人災も「想定外」として原発を進めてきた結果に起因するのだから!その人たちは本来、その罪を認め深く反省し、現政権に助言しつつ、協力するのがあたりまえじゃないの?
今、この閉塞感を現政権にだけ、責任を、みんなして押し付ける、その論理がわからない。
みんなとは、もちろん市民も含めて。だって、これまでずっと、原発を推進する自民党を、アメリカの操作があったにしろ、選んできたのは私たちでしょう?
どうしてそこに考えがいたらないのか・・・。

「出来るもんならやってもらおうじゃないの。お手並み拝見」
「原発の恩恵をこうむっているのだから」
「脱原発などできるわけがないじゃない」
・・などと言う方々。
あまりにも、軽薄と思う。
加害者的立場としても、被害者的立場としても、他人事ではない。

現実的とは、いま、どういうことか?

自分の子どもの葬式を出すときに後悔してももう遅い。
将来、今育ち盛りの子供たちが、大人になり子どもを生むとき、悲劇が起こる可能性は高い。

地震国日本。
「他の原発は安全」であろうはずがない。

それに原子炉を動かす限り、一基に付き広島原発7個分の膨大な廃棄物は、毎年、力の弱いモンゴルか日本の過疎地かに運ばれ、その土地を10万年も汚し続ける。

少しでも早く、脱却しよう!
力を合わせて!



小出裕章さんの本『原発はいらない』が出たよ!村上春樹さんの演説の一部も紹介します。

20万部を売った扶桑社からの前作に続く、新書版。
今度は幻冬ルネッサンス新書より、刊行されました。
前作は今までの著作から、福島原発事故の不安を拭うために原発の事実を伝えるべく、発行された本であったと思います。
今回は、小出さんの話し言葉のように、研究者の色々な人間的なエソードも含まれ、「原発に関する何でもQ&A」と言う章もあり、いっそうわかりやすいと思います。

いずれにせよ研究し尽くした事実だけをずっと述べておられるので、40年間全くぶれていない。
推進派の、「原子力がなぜ必要か」という証明のしようがない事への、そのときの利益や都合でころころ変わる『言い訳』とは、ずいぶん違います。

そして、小出さんが危惧し心血を注ぎ阻止しようとしていた事故が福島で現実となってしまった、その無念さ、怒り、悲しみ・・。
しかし、あくまで専門家として、冷静に今、どう考えていくかが語られています。

・・・・・

原発から脱しようと言う声が、一般的にそれほど聞かれないのは、本当に信じがたい!
まだ半分の人は必要だと思っている。
読んでくれないかな、この本。

事実を知ることは、「洗脳」ではない。
恐れる事はない。

納得しないわけはないと思うんだけど、真実だから。

真実を知ると・・・
目先の経済発展など、小さいものに見えてくる。
子どもの命や健康とは、天秤になどそもそもかけられないという事実に、改めて気づく。

この基本的な、道理を、無視しようとしてはいけない。

☆☆☆

すこし、この本から、引用させていただきます。
読んでみようかと思うきっかけになれば、幸いです。
全く私は非力で、こんな事しか出来ませんが・・・。

   *****

<本文より>

 『東京電力福島第一原子力発電所は、大地震と津波に襲われて。現在も「破局的な事故」が進行しています。しかし、この事故を、大津波という「天災」が原因とするのは正しくありません。数は少ないとはいえ、わたしを含めた原子力の専門家や一部の政治家が、以前から地震や大津波による原発事故の危険性を指摘してきたのに、政府も東京電力も「原発安全神話」にしがみついて無策を続けてきました。
 今回の事故は無策ゆえの「人災」であり、原発という「危険物」を意図的に放置してきた「人災」です。』(p14)

 『放射能汚染は、人だけを窮地に追い込むわけではありません。骨と皮だけになったペットや餓死した牛の姿を目にしたとき、「こんなむごい事が許されていいはずがない!」と、私は激しい怒りを覚えました。人間だけが、この地球と資源を好き勝手に使い、汚していいのでしょうか。』(p15)

 『政府や電力会社は「原発は安全」という宣伝をずっと続けてきました。その宣伝を後押ししてきたのが原発推進論者の学者、原子力安全委員会、原子力安全保安員などです。二つの政府系組織の名称に、わざわざ「安全」と付いているのは、まるでブラックジョークのように私には思えます。
 私は40年以上にわたって「原発は危険。必ず事故が起きる。おきれば壊滅的な被害になる」と主張してきました。原発建設予定の住民による反原発運動にも、可能な限り関わってきたつもりです。
 残念な事に、「原発なんかいらない」という住民運動は、政府や東京電力といった大きな力の前に、太い流れにはなりませんでした。「原発は環境を汚さないエコ電力」「原発をやめたら電力が足りなくなる」といった宣伝に、マスコミも市民も目をくらまされてしまったのです。
 わたしはことあるごとに「原発も二酸化炭素を放出する」「全ての原発をやめても電気は足りる」と反論してきましたが、その反論が大きな世論にならなかった事を、いまは言葉に尽くせないほど、無念に思います。』(p17~18)


<芸術家の文章を引用されているところもいくつかあります> 

・ 『宮沢賢治は 「世界ぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない 」と記しました。私は「世界ぜんたい」とは人間のみを指すのではないと思います。人間を含めたこの世界全体が幸せになる事を賢治さんは願っていたはずです。また、そう考えなければ、この地球という星を守ることはできないところまで、私たちは追い詰められてしまったようです。
 つづけて(宮沢賢治は)こう記しています。「個性の優れる方面において、各々止むなき表現をなせ 」
 一人ひとりの人間の力など知れています。しかし、原子力の研究者である私は、今後も原発廃絶のため、自分の持っている力を尽くします。』(p212~214)

・ 『スペインの文学賞を受賞された作家の村上春樹さんが、その受賞講演で福島第一原発の事故に関し「わたしも責任をおわなければならない」と真摯に述べられていましたが、その中で、これまで原発に厳しい意見を主張してきた「非現実的な夢想家」たちを、文学者らしい表現で評価しています。』

・・・・<その受賞講演の「非現実的な夢想家」について述べた部分を、公開されている原稿から引用します>・・・・
  『広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから 」素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある、そこにはそういう意味がこめられています。~そして、原爆投下から66年が経過した今、福島第一原発は、3ヶ月にわたって放射能を撒き散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのように止められるのか・まだ誰にもわかっていません。
 なぜそんなことになったのか?戦後長い間我々が抱き続けた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められたのでしょう?

 理由は簡単です。「効率」です

 原子炉は効率が良い発電システム~つまり利益が上がるシステムであるわけです。又日本政府は原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
 そして気が付いたときには、~地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。そうなるともう後戻りは出来ません。

 原子力発電に危惧を抱く人々に対して、「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも、「原発に頼るのもまあ仕方がないか」という気分が広がります。原発に疑問を呈する人々には「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 そのようにして我々はここにいます、効率的であったはずの原子炉は、今や地獄のふたを開けてしまったかのような、無残な状態に陥っています。

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的「便宜」にすぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
 我々は技術力を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追及すべきだったのです。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心に据えるべきだったのです。 』(村上春樹さんカタルーニャ国際賞スピーチ原稿より)
 
<あとがきより>
 『一人ひとりの皆さんが今後、自らの内部からわきあがる思いに従って、それぞれの個性を発揮して行動してくれるなら、日本だけでなく世界中の原発を廃絶させる事が出来ると私は思います。』

☆☆☆

政治家も、必要悪として原発を認めている人も、絶対に読んでほしい。

脱原発!2011年7月20日

菅総理が思い切って、脱原発へ向かう事を宣言した!

歴史的にも大きな出来事だと思う。
原子力を政治が進めてきて57年・・・

当時の事が、小出さんの本「放射能汚染の現実を超えて」に載っている。

<p164>・・・・1954年3月1日は原子力に関連して日本人には忘れられない事件があった。つまり、ビキニ環礁における米国の水爆実験であり、それによって漁船第五福竜丸が被爆した事である。
その同じ日、当時の与党自由党と野党改進党、それに日本自由党との三党公式会談で、2億3500万円の原始炉建設調査費の予算要求が合意され、その予算案は衆議院を通過、参議院でも特に反対もないまま自然成立してしまう。
予算の提案者であり、野党改進党の代議士であった中曽根康弘は
「当時学術会議においては、研究開始にむしろ否定的な形勢が強かったようであった。私は、その情況をよく調べて、もはやこの段階に至ったならば、政治の力によって突破する以外に、日本の原子力問題を解決する方法はないと直感した。光のような膠着状態に入ったときに決断を下して、国家の方向を決めるのは政治家の責任である。そのように感じて原子力予算を提出」
したと述べている。
同年の国家予算が、一兆円にも満たなかった事を思えば、この額は大金であり、それまでは原子力開発に慎重であった学者たちも一挙に原子力研究に突入する事になる。・・・・(以上、転載させていただきました)

  ・・・・・・・

自分の腹が脱原発によって痛む人は、たくさんいる。(例えば、原子炉を作っている企業、そこから金を受け取る政治家や官僚、給付金にもたれかかっている自治体・・そのほか諸々) ありとあらゆる抵抗があるだろう。

でもいまこそ、「国家の方向を決める政治家の責任」を、正しい意味で発揮するときだ。

目の前に悲劇がある。
10年後には子供たちのガンが確実に表れてくる。

国家が目指すものは、国民の幸せであるはずだ。

目の前の放射能に由る不幸は、57年前に始まった国の、国民の幸せを考えない政策から始まり、深みにはまり、螺旋状に人々を巻き込んでいる。
この悪の螺旋から抜け出す、その最初のメスは、国のリーダーである総理大臣しか、入れられない。

「できるのならやってもらいましょう。お手並み拝見。」
などと、突き放し他人事にしてしまっては絶対いけない。
自分の子どもが、ガンになる可能性は高い。子どもは20mシーベルト/年間浴びると、30人にひとり!ガンになる。ひとクラスのうち一人・・・だよ。それに自分だってだよ。

みんなして、協力していかなければならない。

自民党も、責任を負い、謝罪して、今の政権に協力しなくてはいけない。もちろん他の野党も。
でなければ、日本の、もしかしたら世界(地球)の未来はない。

・・・・

100万年世話をしなくてはならない原発のゴミが溢れそうなんですけど

めちゃくちゃな社会。

無害になるのに100万年。
それまでは、それに近づくことはできない。

もし現代から遡るとすると、弥生時代などは1万5千年前で、ごく最近の事となる。

「10万年後の安全」というフィンランドの映画があるそうだ。(MBSラジオ「たねまきジャーナルから)
地下500メートルに核廃棄物を埋めると言う話。
これから10万年安全に保たなくてはならないが、今現存する建物で最古のものでもたかだか何千年で、10万年その地下に作った建造物が姿を変えずにあると思う?
そこに書いてある言葉は現代の言葉とは、かけ離れているはず。
「開けるな、危険!」を理解すると思う?

そんな、『どうしようもなく危険なものをどうしても生み出してしまう』、という事がわかっているのに、原発を止めようとしない社会。
今政府で、原発を止める方向にあるのは、孤立した菅総理だけ?それに仲間が異を唱えているなんて、変なの。

電力会社は、そもそも、そのゴミの処理法などないことは重々承知の上で、自分達の利益を追い求め、危険を隠し続け、金で人の心を犯してきた。
福島の事故が起き、人の人生をめちゃくちゃにした責任がありながら、それでも、株主総会で、原発推進を決める。
企業として、反省し、自然エネルギーに進むと方向付ける道もあった筈だ。

なんで?
いったい、どうやったら、そういう考えになるの?
なんで、「人のことなんてどうでもいいのだ!」なんていう恥を、いい大人が全世界に名前と顔付きで堂々と言えるの?

めちゃくちゃな社会。

今、まともでいられるのは、私たち、一般庶民なんじゃない?
そもそも国は私たち一人ひとりの集合体なのだ。
ひとりひとりが考えをしっかり持てば、全体も変わる。
いま、変わらなければ。ほんとうに。
・・・・

パウル・クレー展に行ったよ

私にとって、絵や文学、音楽は、好きか嫌いか、とてもはっきりしていて、我ながらとても不思議だ。

読めない文章、聴けない音楽があって、絵も然りである。

幸せでなのかもしれないが、見て感動する「絵」はとても限られる。

クレーはどの作品も、もし飾れるなら、部屋に飾りいつも見ていたい。
翠さんとのCDのジャケットに使わせていただいた、長橋繁さんの絵もそうだ。
他には、ダリ。ダリの場合は、部屋に飾っておきたいというよりも、あの人間業ではありえない精密さに感動する。

パウル・クレーは思い起こせば、恐らく中学の頃から好きだったのだと思う。素焼きのお皿に絵を焼き付けるという美術の授業で、クレーを多分どこかで見たのだろう、クレーもどきのようなものを描いた覚えがある。独創性を重んじるそのときの美術の先生のつけた点数は高くなかったが、私自身は気に入っていた。

クレーの絵を見ると、なぜか心が踊るのだ。
なぜかは判らない。

1995年だったか、土井君のレコーディングでスイスのベルンに行った。(そのときにバンツと会ったのだが。)
なんと、ベルンのクンストミュージアム(国立美術館)はクレーの作品の所蔵量が世界一。
それもそのはず、クレーはベルンの人だったのだ!

そのミュージアムには、クレーの代表的な大きな作品がたくさんあった。クレーの作品に取り囲まれ、その中心のソファに座っている時の、至福感といったら!今でも思い出す。
子供たちが、床に座って、クレーの絵を模写している。
表面の劣化が心配な絵以外は、ガラスなど入っていない。ここから入るな、という柵などもない。

話がそれるが、ダリの絵の魅力を発見したのも、この美術館でだった。小さい絵だったが、4m離れても、10cmに近づいても、地平線に描かれた3~4mmのちいさな人は、はっきりと人なのだ。目を疑った。判るかな?魔法だ。

クレーの色彩は、肌で感じるような色だ。
フランスの画家アンリ・ミショーは、クレーの色を 「サビやカビのように適地を選んで生えてきたのではないかと思わせる」と言っている。
・・・確かに。
鮮やかに対比しながら溶け合っている。「そこにあるべき色」、といった感じ。
そして、線は踊る。

クレーは音楽家でもあった。ヴァイオリニスト。
音も波動、色も波動。
音楽にはリズム、絵にもリズム。
呼応している。

・・・・・・

今回のクレー展は、東京・竹橋にある国立近代美術館で、7月31日まで。
http://klee.exhn.jp/

・・・・・・

クレーの作品は素晴らしいが、ソファ・椅子の類がひとつもないうえ、中にカフェもなく、再入場も原則的に不可。
疲れた。
スニーカーで行くように。

ただ、トイレもないので、再入場券をもらって一旦外に出る事ができる。
これしかありません。休む方法は。

レストランはその建物の2階にあるけど(もちろんクレー展からは出なくてはならない)、昼時は長蛇の列。そして、近所には他に食べ物屋はなく、コンビニもない。竹橋の駅ビルにあるレストラン街で食べておくか、何か買っておいてトイレに行きがてら、外に出て、休憩しながら食べよう。

・・・なんか『地球の歩き方』チックだなあ。
ああ、ベルン行きたい。


小出さんの本『原発のウソ』の前書き

小出さんの本『原発のウソ』が出たよ!」について
小出裕章さんの本『原発のウソ』-扶桑社新書 のまえがきを転載させていただきます。

・・・・・・・

『起きてしまった過去は変えられないが、未来は変えられる』

 私はかつて原子力に夢を持ち、研究に足を踏み入れた人間です。でも原子力の事を学んでその危険性を知り、自分の考えを180度変えました。「原発は差別の象徴だ」と思ったのです。原子力のメリットは電気を起こす事。しかし「たかが電気」でしかありません。そんなものより、人間の命や子どもたちの未来のほうがずっと大事です。メリットよりもリスクのほうがずっと大きいのです。しかも私達は原子力以外にエネルギーを得る選択肢をたくさん持っています。
 私が「原発は危険だ」と思ったとき、日本にはまだ3基の原発しかありませんでした。私は何とかこれ以上原発を造らせないようにしたい、危険性を多くの人に知って欲しい、それにはどういう方法があるんだろうかと、必死に模索してきました。しかしすでに日本には54基もの原発が並んでしまいました。
 福島原発の事故も、ずっと懸念していた事が現実になってしまいました。本当に皆さん、特に若い人たちやこれから生まれてくる子どもたちに申し訳ないと思うし、自分の非力を情けないとも思います。
 けれども、絶望はしていません。私が原子力の危険に気づいた40年前、日本のほとんどの人が原子力推進派でした。「未来のエネルギー」として、誰もが諸手を挙げて賛成し、原子力にのめりこんで行く時代でした。そんな夢のエネルギーの危険性を指摘する私は、ずっと異端の扱いを受けてきました。
 その時に比べれば、だんだんと多くの人たちが私の話を聞いてくださるようになりました「原子力は危険だ」ということに気づき始めたようです。今こそ、私たちが社会の大転換を決断できる時がきたのではないかと思っています。
 起きてしまった過去は変えられませんが、未来は変えられます。
 これから生まれてくる子どもたちに、安全な環境を残していきませんか。皆さん一人ひとりが「危険な原発はいらない」という意思表示をしてくださる事を願っています。
 
                                    2011年5月16日 小出裕章

・・・・・・・・・

 こんな短い文章にも、原子力の怖さと、小出さんの暖かい考えが溢れています。

 インタビュ-を聴いたり映像を見てみて下さい。
 
 頭がいいとか、真面目とか、そりゃ京大の先生ですからそうに違いないのですが、なんだか、人間的な柔らかさをすごく感じ、とても説得力があるんだなあ。

・・・・・・・
  出来るだけたくさんの人に、出来るだけ早く、気づいて欲しい。
  
  イタリアは、脱原発を国民投票で決めたよ。

今、真実を知る事の大切さ

放射能の事、放射性廃棄物のこと、IAEAの事、プルトニウムの事、核爆弾の事、政治的な推進の流れ、エネルギー資源の事、電力会社の利益追求のあくどいやり方、マスコミの罪、などなど。

今回の震災を契機に、小出裕章さん他、長年研究し反原子力を語ってきた方々のおかげで、大変大変遅ればせながら、真実を知る事ができた。

一方、こうして、真実を語っている人や、本や、映像があるにもかかわらず、未だ、それに、耳を閉ざし目を閉ざす、人たちがたくさんいる。

日本人の、性質なのだろうか。

「そう言うなら、勝手に反対運動すれば・・」 と突き放す。
「そんな事をいうのは少数派」 と正しいか否かではなく、数の論理で阻害する。
「いろんな価値観の人がいる」 と真実―例えば放射性物質はたとえ少量でも遺伝子をぶっ壊し、人間の叡智を集めても放射能を無力にすることができないとか、日本に地震は必ず起こるとか― の重みを、一瞬にして、平たく、無知と同列の軽いものにしてしまう。

長いものに巻かれる、くさいものにふたをする、少数派は非国民、マスコミが自分の価値観そのもの・・・といった事が、日本の高度成長を実現してきた。
物質的にだけ豊かな、ゆがんだ日本を作るために働いてきた。
本当の意味で豊かに人生を楽しめていないのに文句も言わず。

日本人は、今まで、原爆の経験から始まり、チェルノブイリやスリーマイル島の大事故、国内の東海村の死者を出した悲惨な事故などなどの、たくさんの原子力を考えるチャンスがあった。
しかし、考えてこなかった。

そのゆがみが、3月11日に最悪の事態をまねいた。

しかし!なのに!
その日本人的思考が、どうしても変えられない。
というより、変えようとしない。

・・・・・

怖いから、真実を知ろうとする・・・ それでいいではないか!

真実を知れば、こんな悲惨な現実の中、原発を動かしていることが、狂気の沙汰だと、必ず簡単に気付く。

原子力に関して、長いものに巻かれたり、くさいものをふたをしたりすると、命があぶないのだもの。
真実を知る者が少数派であったら、大変な事になる。今回のように。

・・・・・・

「今までとは違う世界で生きる」ということ。

福島の原子炉のタイプ[マークⅠ]は、1980年に、アメリカの原子炉規制委員会の評価で、耐震強度が十分でないと予測しながら、「無視できる」としていたそうだ。
それを日本の原子力安全委員会も知っていながら、アメリカに倣って、危険性を無視してきた!
アメリカはもちろん地震のないところに原子炉・マークⅠを建てている。
日本は・・・? 判っていながら・・10基!愚か者。

こんな嘘やまやかしは氷山の一角。

汚泥から放射性物質検出のニュースはあちらこちらで。
神奈川でも
<ウェブニュースから>12日、4カ所の下水処理場で6日に採取した汚泥や焼却灰から、いずれも放射性物質を検出したと発表した。
 検出量が最も多かったのは相模川流域右岸処理場(平塚市)で、汚泥から1キログラム当たり482ベクレルの放射性セシウムと同473ベクレルの放射性ヨウ素を検出。焼却灰からは同2873ベクレルの放射性セシウム、同1177ベクレルの放射性ヨウ素を検出した。
 県は、4処理場からの焼却灰搬出を停止。汚泥と焼却灰に放射性物質の基準値がないことから、早急な処理方法の策定などを国に今後要望する。

・・・ですと。
 いまさら驚かない。隠されてきたものが明らかになっていくだけ。
 もう何日間焼却して来たのだろう。
 どれだけの放射性物質が、煙突から空気中に出て行ったんだろう。


放射性物質の処理方法などない、と小出先生は言っているではないか。
放射能は人類の叡智を超えるものであるって。
放射能に汚れた泥は、どんどん溜まっていくばかりだ。

「今までとは違う世界で生きる、と思うしかない」 とラジオで小出先生。本当に辛そうだ。たまらない。
 
*****

私は音楽を、とくにジャズをやっていて、本当に良かったと思う。
演奏するものも、聴きに来てくれる人も、皆、素晴らしい人間たちで、そういう人たちと音楽を介して、気持ちが深いところで通う。

生きている人間としての幸せを、感じるときだ。

しかし、もう今までとは違う世界なのだなあ、と、感じながら弾いている。

  子どもたちは、海草や貝はもう何年も、もしかして何十年も食べられないのだなあ。
  海で安心して泳げないのだろうなあ。
  たくさんの子どもたちが病気になるのだろうなあ。
  恵琉馬が結婚して子どもを生むころには、先天的異常の子どもがたくさん生まれるのだろうな。
  悪夢だ。信じられない。

  世界を汚してしまった馬鹿な大人たちの責任を、罪のない子どもたちが負い続ける。

  スイスのバンツのところに遊びに行けないよ。どの面下げて行けばいいの?

・・・・・・・

しかも、まだ終わったわけではない。
まさに進行中、最悪の水蒸気爆発の可能性が、無いわけではない。

それだけではない。

それどころか、未だ、日本列島の地震ナマズの上で、原発が稼動している。
それを、電気が足りなくなるからと、容認している人間が大勢いる。

正気とは思えない。

気が狂っている。

・・・・・・・

『今までとは違う世界で生きる、と思うしかない』・・・

今までとは違う世界でも、私は、音楽をやり続ける。
音楽をやっていなかったら、わたしは生きていけないのかもしれない。

そのくせ、手を怪我した事が、あまり怖くなかった。
早く良くなって欲しいと願っているのは真実だが、あまり怖くは無かった。

あまりにも絶望的な事実が、そこにあるからだ。

・・・・・



小出さんの本『原発のウソ』が出たよ!

小出先生の 『原発のウソ』が、震災後書き下ろされた初めての本が出版されました。
扶桑社文庫 ¥777

Amazonのランキングで、6月3日現在、なんと 第3位だって!

みんな、不安で不安でたまらなかったんだ。
本当だと判断できる誠実な小出先生の語り口を、皆が拠り所にするのは、当然だろう。

*****

気負い・下心・洗脳の意図、などが全くない。
長年の研究や公的なデータからの分析が、冷静に語られるが、その後ろには、生命への深い愛が感じられます。
子どもたちの事を心配し、放射能のせいで、自分の生まれ育った場所を捨てなければならない苦痛に共感し、安全だと言っているのに都会に作らない理不尽さに怒る。

率直で暖かい文章は、読む人を選ばず、心に響き、素直に腑に落ちていきます。

全国民が読むべきと思う。

これで、私たち・知識を持った一般人が、推進派の役人・金に目がくらみ知らん振りしている人・うそつきで恥知らずの学者たちを、置いてけぼりにするのだ。

本当に、そうならなきゃならないこの国は!

ドイツの、メルケルさんは確かに即断して偉い。
でもその前に、ドイツ国民が「原発から脱す!」と叫んだのだ。

大人が、「まあ、恩恵を受けてるんだし・・」なんて、無責任な事を言ってちゃ、絶対にいけない!
恩恵を自分が受けているから、子供が癌になってもいいのか?海を汚していいのか?他人の人生を奪っていいのか?

電気を頼らずとも出来る事は、頭を使えば意外と沢山あるし、そもそも、原発が無くなると、電気が足りなくなるという事はない。この本を読めば判る。

原発関連の本に、二の足を踏んでいた人も、これなら読めるよ!
絶対、読んでよかったと思うと思うよ。
私が保証する。


・・・・ 

日本人は真面目が嫌い?

日々、ずっと感じてきたこと。

真面目な話・・・
たとえば、政治や、環境、教育の話。

なぜ、皆、真面目な話を嫌がるの?或いは恐れるの?

という私も、昔はそうだったのかもしれない。安易に周りに流されていたように思う。
でも音楽を深めていくにつれ、不真面目にはなれなくなっていった。

加えて、ドイツやスイス、オーストラリアなど、その土地を訪れ、日本人以外の友人ができ、いろいろな価値観に、直に触れる機会を得て、物事を深く考えない日本の異常な状態を知った。
とてもとても遅すぎたのだけれど、とにかく気が付いた。

その友人達にとって・・・
政治のことを話題にするのは、当たり前。
自分や子どもたちの健康を左右する環境の問題も当然。

日本では・・・
政府に問題を感じ、非難すれば非国民?(今は逆に、政府を非難をしないことが非国民的な様相でもありますが)
多数と違う事は、正しい正しくないに関わらず、急進的?反逆的?
だから、口を噤み見ない振りをする?

そうやって来た結果、どうなったかというと、原発を許し、安全だとし推進することに賛成し、そして、その結果、今の、想像を超える地獄のような状態。
子どもに放射線を浴びる事を強い、空気を汚し、海を汚し、土を汚し・・
今現在も、福島原発の融けたウランは、横浜でさえも非難区域になり得るような事故になっていく可能性を秘めたまま、ぐずぐずとくすぶっている・・・

しかし、こんな恐ろしい事態になっていても、自分の事と思えない。
多くの大人が、自分が選んだこととして責任を負う気持ちもない。

日本にも、こんな恐ろしい事態になる事を、ずっと警告して来た人が、いたというのに!
それに耳を傾けてこなかったことを反省し、事実を受け止め、もうこんな事はするまい、と世界に地球に誓うべきときにもかかわらず、原発は、止まっていないなんて。

ドイツやスイスは、福島の事故を受けて、脱原発を宣言しているというのに!

それらの国は、なぜ、原発を止められるのか。
政治家が本当の意味で賢く、「国民を守る」という当たり前のことができる、ということも、もちろんあるが、その前に、一般市民が、よく考え、原発など止めよう!と意識し声を上げるからだ。
人が決めた事に寄りかからず、多数派に日和らず、それぞれが真実を見ようとする。
だから、国も考えるし、決断できる。

日本はどうか。
まだ、この期に及んで、真面目に話す事を避ける。
知ろうとすれば、真実を知ることも出来るのに知ろうとしない。
子どもたちのしあわせに、直接関わることなのに。
なんてことだろう。

そんな日本人が嫌いだ。

日本人をやめたくなる。
本当に。

・・・

絶望する。
うちひしがれる。

でも、
小出さんや今中さん、石橋さんなど、何十年もくじけずに、真実を伝えようとしてきた人たちのことを思うと、甘すぎか!

そして、今、世界中の放射能汚染に苦しむ人たち・・・・広島・長崎で被爆した方々、核実験で汚染されたタヒチや太平洋の島々、チェルノブイリで被爆した人や土地、たくさんの劣化ウラン爆弾で汚染されたイラクの甲状腺がんの子どもたち、イギリスの白血病の子どもたち、東海村の臨界事故で亡くなったお二人・・・・・・

なにより、すぐそばで、今まさに、福島原発のせいで、今までの人生をもぎ取られようとしている人々、土や水が汚染され、何十年も立ち入ることの出来なくなるだろう東北の美しい風景、そして、これから明らかになるであろう、子供たちの被爆による影響・・・

それらが、国民の事も地球の事も考えられない者たちの、政治的思惑によって、無視されているのだ。
ひどすぎる。

何としても、私に出来る事は、何でもやらなければ、という思いに駆られる。
一人の風が二人に三人に・・・・吹き渡ると、信じている

・・・

考えてみよう ・・・原子力のこと その2

いろいろ 考える ・・・「原子力」」について

小出裕章さんや石橋克彦さんたちの、優れた頭脳をして、研究し或いは考えて、明らかになったのは「ものすごく危険」な事実。だからそれを「止めよう!すぐにやめよう!」というのは、とてもとても、当たり前のことではありませんか?

  ・原発を推進或いは、必要悪だなどと言って正当化する方々、「そんな単純に止められないのだ」、
  などと、容易く 言わないでくれ!

  ・便利な生活や経済発展に、原発が必要、と思う人・・ ちょっと想像して欲しい。
     ・・・・チェルノブイリの周りでは、放射能の影響で、ガンで苦しむ子どもたち。
        自分の子どもの葬式を出したたくさんの親。たくさん奇形児。
     ・・・・福島の事故から2ヶ月すぎ、生まれ育った土地に、戻れない本当にたくさんの人たち。
        育んできたものを捨て去らなければならない、その想像を超える辛さ。

  ・研究者は『研究すること』そもそもの意味をもう一度考えてみて。

  ・事業主は、自分の会社のために働く者や、その会社から提供するものを受ける側の幸せを想像してみて。

まったくシンプルで、とっても明らかなことだ。

  ・生命・地球全てをだめにする毒物を作ることと、たかが「便利」とを引き換えにするの?
  ・核兵器などもってのほかだ。
   自分たちが幸せになることと、生命・地球をだめにしようとすることは全く相反することくらい、判っているはず。

そう、もうずーっと前から、こんな事は判っていた。
でも日本人はそれに気付かないように、考えないように洗脳されてきたのだ。しかし、考える事は、実はそれぞれが出来たはずなのだ。

小出先生や、石橋さんの仰る事を聞くと、まやかしも、はったりもなく、私利私欲のかけらも全く見出せない。
本当にそのことの重大さをきちっと受け止めた、良識のある、人間性を持った研究者だからだと思う。
ものすごい説得力。

小出先生はじめ、当たり前の正義感を持つ研究者の発言や活動が、今やっと、考えて来なかった日本人の間にも、少しずつ浸透し、たくさんの人が頭を使い、何が正しいか考え始めている。
私を含めて。

だから、何かの縁でこのページを見た人には、知って欲しい。
小出裕章さんや石橋克彦さんの話を聞いてみて欲しい。

必聴!小出裕章さん・石橋克彦さんらが 参議院「行政監視委員会」で証言

2011年5月23日(月) 参議院の「行政監視委員会」で小出先生が参考人として出席された。

誇張も隠蔽もされていない、事実。
原子力の専門家と、原子炉の設計者、地震学の権威、そして多大な寄付をし直接役立とうとする実業家。

これは、公の場での、貴重な証言です。
全国会議員・官僚・原子力に携わる者をはじめ、全ての日本人は聴くべきと思います。

 
「原発事故と行政監視システムの在り方」

参考人:
小出 裕章 (京都大学原子炉実験所助教)
後藤 政志 (芝浦工業大学非常勤講師)
石橋 克彦 (神戸大学名誉教授)
孫 正義  (ソフトバンク株式会社代表取締役社長)

*****
YouTubeにUpしてくださっている方が居ます。
3時間ほどになりますから2つに分かれています。

http://www.youtube.com/watch?v=8WNFcNOkzIY

http://www.youtube.com/watch?v=TxR7ZfDohow&feature=related


上の参考人の順番に、お一人15分ずつ、それぞれの専門分野から、原発の危険性、止めるべき理由を述べておられます。
そのあと、この委員会に参加する議員からの質問に皆さんが答えていらっしゃいます。
これは、公の場での、貴重な証言。
全国会議員・官僚・原子力に携わる者をはじめ、全ての日本人は聴くべきと思います。


*****

「小出裕章(京大助経)非公開まとめ」にも同じ動画がアップされています。
このウェブサイトは、どこのどなたかわかりませんが、小出さんの発言・論文・インタヴューなど、公正に誠実に、まとめてくださっているものです。
掲示板もあり、このサイトを見ている人たちの意識の高さが判ります。

http://hiroakikoide.wordpress.com/

☆☆☆

皆さん、優れた頭脳と同時に、生物に対する愛情に溢れた科学者と実業家で、そのお話の、ものすごく当たり前で且つ、的を得ている事ったら、どう!?!

しかし、その上でとても憂う事は、今までもそうであったそうですが、こうやって「委員会で反原発の意見を聞いた」という、ただの既成事実と化してしまって、結局内容を検討することなく、原子力を推進する流れを何も変えない、という事です。

もし、この参考人の皆さんの言う事を、普通に、当たり前に、誠実に受け止め考えてみたら、決して無視など出来ないはずですが、政治界には、正義も恥も外聞もない人が、信じられないほどがたくさんいる。

しかし、絶対に原発を止めなければならない。なぜかは、いま福島で、間近に、どういう事態になるのか、はっきりと証明されている。
その前に、もし、広島・長崎、スリーマイル、チェルノブイリで起こったことをしっかりと受け止め、考えていたなら、こうした悲惨な事故を起こさないですんだのだが。

今まで、脱原発の流れが何度起こっても、実現せずに来てしまったのは、もちろん政府の意思であったからだとは思うが、私たち、一般の日本国民が、よく考えてこなかった、そして、国の意思を許して来てしまっていたことも、原因だ。
しかし!逆に言えば、私たちが考え、「止めよう!」と、皆が考えれば、実現するということ!

たくさんの子どもがガンになり、たくさんの奇形児が生まれる、悲惨な未来・・・
そうならないほうが、良いに決まってる!!
それとも、今、便利なことが、どうしても大事?

☆☆☆

小出先生は最後にガンジーの墓に書かれた「七つの社会的大罪―Seven Social Sins」 を引用された。

 理念なき政治  ―Politics without Principles

 労働なき富  ―Wealth without Work

 良心なき快楽  ―Pleasure without Conscience

 人格なき教育  ―Knowledge without Character

 道徳なき商業 ―Commerce without Morality

 人間性なき科学 ―Science without Humanity

 犠牲なき宗教  ―Worship without Sacrifice


・・・素晴らしい。
  理想があるから、現実を生きることが出来るし、現実を真摯に生きているから、理想が持てる。

*****

しかし、がっかりすることに、これは鳩山由紀夫氏が総理になったときの所信表明でも、引用したそうだが、5月21日には、な、な、なんと!自民党の谷垣氏や羽田氏と一緒に、「地下式原子力発電所政策推進議員連盟」 なるものを、発足したんだと!全く理解不可能!
と、いうか、鳩山さんがガンジーの言葉など理解せず使っていたという事だろう。
まさか、大罪じゃなく、目標にしていたのではあるまいな?!

考えてみよう ・・・原子力のこと

原子力

5月5日、ようやく、浜岡原発を停止するように政府が要請しました。
まずは、一歩。
いま、日本中、巨大地震がいつ来てもおかしくないのですが、特に危ない静岡・浜岡は、福島で安全性が嘘であった事が明白になったのですから、すぐに止めるべき原発でした。
しかし、「安全性が確保できるまで」とは!

********

福島原発が危機的状況に陥っていることで、私も含めてたくさんの人が、真実を知ろうとしています。
いま、目を背けては絶対にいけない。

原子力の事は、政治的なことでも(どこの政党を支持するかとか)、宗教的なことでも、急進主義とか左翼主義とかそうゆう、「主義」的なことでもない。
先入観を捨てて、面倒がらずにちょっと考えてみれば、私たち自身が、生物が、地球が『生きる』ということに直接関わるのだ、ということが判ります。


☆ 目で見ることの出来ない放射能は、いつのまにか人の遺伝子をめちゃめちゃにぶった切る。
 ・・・遺伝子が壊れるとは、細胞が再生力を失ったり、変異して癌になったり、子どもが奇形児になったりするという事。

☆ 基準値以下だから、影響が無い、というようなものではない。どんなに少ない被爆であっても、DNAを含む分子結合がダメージを受ける。
 ・・・私たちは広島・長崎で経験済み。

☆ そんな放射性物質を、正常に運転していても作り続ける原子力発電所とは・・・
 ・・・一基・100万kwの原子力発電所は、毎日3kgのウランを核分裂させる。(広島の原爆で使われたウランは800g)核分裂で出来る核分裂生成物はいわゆる「死の灰」。年間で考えれば広島の原爆1000個分を、たった一基で作っていることになる。
  そして、恐ろしいのが、この「死の灰」を処理する方法が、いまだ何も無いという事!

☆ 原子力発電所がなければ、電気が足りなくなることは、ほぼ無いこと。
  しかも、必要のない便利さを求めているのは、私たち。
  ヨーロッパを旅すれば、必要以上の「照明」や「音」は必要ないことには、すぐに気が付く。日本は異常。
  1億人が少し考え、少しずつ電気を使わないようにすれば、どんなに夏の暑い日でも、間違いなく、足りる!

☆ 二酸化炭素を出さないのは「核分裂」そのものだけの話。その前の生成する段階では、たくさんのエネルギーを使っている。冷却水は大量に海に流され海水の温度を上げている。海水温度が上がると、二酸化炭素を放出するし、生態系も変える。
  そもそも、熱エネルギーを大量に生み出すそのことが、温暖化を促進するのは当たり前だのクラッカー。

☆ 水力を除く自然エネルギー(風力・太陽光・地熱発電など)は、日本ではたった1%しかない。なんでと思う?
  原子力発電よりお金がかかるといわれるけれど、どうしようもない「死の灰」の管理、そして今回のように事故にならなくとも、廃炉にするときの莫大な費用を考えると、実は原発はぜんぜん、まったく安くない。簡単に壊すわけにいかないんだもの。
  さらに、機械は必ず壊れるし故障もするわけで、今回のような事故のとき、健康、それぞれの人生、空気・地面・海の汚染・・・など考えると、とてもとても保障できるようなものではない。

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たったこれだけの、知識でも、どんなに原発がとんでもなく恐ろしく、クリーンでもなんでもないことがはっきりわかる。

原発など、なくて良いのだ、という事を私たちひとりひとりがはっきりと意識しなければいけない。
子どもたちや地球のことを考えて。


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