吉見俊哉さん(社会学者) 「『平和利用』の夢覚ませ」  11/2毎日新聞・特集ワイド

11月2日 原発の呪縛 日本よ! この国はどこへ行こうとしているのか よりまとめ
http://mainichi.jp/feature/news/20121102dde012040030000c.html

社会学者 吉見俊哉さん(東大大学院情報学教授)

・・・「(東京電力福島第一原発に近づけるぎりぎりの地点に立ったとき)地中海や瀬戸内海沿岸のように海と穏やかな丘が調和した風景と、放射能汚染とのコントラスト。このギャップをどう受け止めていいか分からず、戸惑いました」
 
 この衝撃はひとつの疑問へ。
   <広島・長崎を経験したはずのこの国が、1999年のJCO臨界事故などに続いて今また「被ばく」に苦しむ、この「連続性」をもたらしたものは何なのか。>

1955年 東京日比谷公園で「原子力平和利用博覧会」が行われた。
・・・「広島・長崎・第五福竜丸と続いた原水爆の記憶はもう忘れよう、原子力は便利で豊かな未来生活をもたらしてくれますよ、と。過去の記憶を未来の夢に変換した」

遡って、1953年12月米国アイゼンハワー大統領は国連総会で原子力の平和利用を訴えた。
  「アトムズ・フォー・ピース」演説。
・・・「被爆国の日本が導入すれば、原爆投下への非難をかわせるうえ原発輸出でアメリカ産業界の利益につなげたいとの思惑があった」

  「日本では、被爆国だからこそ原子力の利用は平和の象徴になるとの声が高まり、植民地を失い資源不足なのだから原子力に頼るべきと言う論調も高まった。そうして米国にとっての〝原子力優等生"になっていった」
  
1970年の大阪万国博覧会・開催日に、米ゼネラル・エレクトリック社が建設した福井県敦賀原発1号機が営業運転を開始し、会場に電気を送った。追いかけるように米ウェスチングハウス社が手がけた美浜原発からも送電された。
・・・「『この国にこと原子力の平和利用が必要』との歪んだ論理を完成させたのが、あの万博だったんです」

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 <被爆国>だからこそ<平和利用>という論理の飛躍に、大きな力が加わった事は、今から考えればおそろしいほど明らかだ。万博は私も覚えている。あの頃の日本は、ものすごい勢いだったと思う。人々は経済成長することに眼を奪われ、考える事をしていなかったと思う。確かに、アメリカが何事においても御手本だったのだ。<ジャズ>然りである。

 でも今はちょっと違う。
 何らかの力を受けているマスコミや新聞の情報以外にも、さまざまな情報を得ることができる。
 嘘はばれる。
 自分で求めれば真実を知ることができる。


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吉見さんはこう結ぶ

・・・「簡単ではないが今こそ日本人は夢から覚めて『米国の笠』の外に出ることを考えるべきではないか
  「原発はコントロール不可能な技術であり、リスクはあまりにも大きい。きちんと年限を区切り、ゼロにするべきです。夢を見ていたのは原子力ムラだけじゃない、日本全体。問題は電力消費依存の豊かな生活を我々が手放せるかどうか。夢から覚めるのを拒否すれば、悲劇はまた繰り返されます」


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